せっかくなので、ムラビト認定されたダメ人間から

ムラ社会宣言というのが出されてました。
基本的には、モヒカン宣言の裏*1として書かれたモノのようで、必ずしも「ムラ社会」側の視点から書き起こされたワケでなく、単にモヒカンの逆を書いてる感じなのでしょうか?
少し話が飛びますが*2ムラ社会論で戸惑いを感じるのは、「ネット上」でムラ社会人と目される私が、「リアル」においては「社会のルール」になりきれない「個人主義はびこる若者」と目されてしまうような、それに似たねじれ感。
先程の「ムラ社会宣言」に戻りますと、

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あなたのものはあなたのもの。わたしのものはわたしのもの。人のものに口を出すのは恐ろしい人です。

という考えは、まさにネットムラ社会な私の考え。しかし、リアルムラ社会からは際限なく同一化のうねりが押し寄せ、それは我々を飲み込もうと欲しているんじゃないかと思います。いや、所詮は印象論なので有効なソースはないのですが…。
あと、これもまた極々個人的な思いですが

間違いを指摘することはその人の人格を攻撃することである。また、真に誤りを犯した場合、どんな謝罪を行っても許されるものではない

と、ムラ社会=間違いの指摘が攻撃になるので、絶対にしない、という解釈ですが、実際のところはもう少し弾力的な活用というか、「間違いを指摘する時は、相手を傷つけないように全力をもって配慮しながら、なるべく柔らかい言葉を用いて、必要ならば^^と笑顔でも作って、遺恨のないように、そっと触れろ」くらいじゃないかと思います。…まぁ、確かに自分が指摘するのが恐くて「誰かが教えてあげたり、自分で気づいてくれるように、影ながら祈る」という手段の方が多い気もしてきました。…やっぱり、触れてないのと同じじゃないか?
もう1つ。

差異
お互いの差異は努力で埋めることが出来ます。自分が良いと思ったことを積極的に人に対して行いましょう。

ワリとマッチョなムラビトだと思われます。この文は何故かリアルムラビトに近い気が。互いに触らず平和主義なひ弱系ネットムラビトからすれば「お互いの差違は自分の力じゃ決して埋まらないので、多文化主義の語を隠れ蓑に表面上の平和を装いましょう。議論によって落とし所を探る事など全くの無駄です。」になりそうな気がします。極端を言えば、ですけどね。
などと色々言いましたが、結局は何の裏付けもない主観だけで、ごめんなさい。(とりあえず全世界に向かって)

*1:…いや、逆・裏・対称で言うと「対称」なのか? 正しい日本語を使わないとモヒカン様に…ガクガクブルブル

*2:こうやって話をすっ飛ばす所がムラビトたる所以か?