職場の後輩に娘さんが生まれまして。今のチームだと、上司はともかくメンバー全員が若いので*1お互いにとっても子どもなんて初めて。みんなで祝福してワイワイ話してたのですが、「これから大変だネー」という言葉のニュアンスも、どこか明るい気がしました。

職場で別チームの先輩と飲んでいた時の話ですが。
「ひとりで生きる、って事を真剣に考える前に、親への心配と具体的な方策が先にやってくるよ」っていう、まぁごく当たり前だけど、そこの話をずっとお聞きしました。どうしても自分の場合はまだまだ観念的というか、つまり浮き足だった切り口でしか物事を考えてないようなところばかりなのですが、やっぱり年上でしっかりした人の意見はリアリティがあって頼りになります。
ただ、方策が大事といっても、それ以前に「親が老いるという現実」を受け止めて認識する事自体すら難しいよ、って話も。そうっすよねぇ…。

さて、自分が物事を浮ついた方向でしか考えられないのは今に始まったことではないのですが。実際、狭い世界観だけで生きているので、色んな現実的な問題を回避してこれたのはあるかもしれません。まぁ、それはそれで良いのですけれど。

ただ、自分がくだらないなりにもこれまで人間をやってきて、今まで世の中からいただいてきた余りにも大きい恩恵に対して、なに1つお返しすることもせずに消滅してしまったり、耐えきれずに潰れてしまったりするのは、正直、申し訳ない上に、やはり悔しくて悲しいだろうなぁ…とは最近よく考えます。変な話ですが、恵みを受け取るというか…それを貪るには、ただ「自分」だけが存在すればいいのですが、何かを与える者になるためにはちゃんと「他者」という存在と向き合えなくてはならないのだろうなぁ、とか思います。いや、思いっきり単なる空想論なのですけど。誰かに何かをしてあげるという場合、誰かが存在しなければ、まさに自慰でしかないと思います。

そして冒頭に戻るのですが。直接的に世の中へ仕えるだけでなく、たとえば誰かに何かを伝える、育てる、そういった事を通して、自分がいただいた恩寵を世の中にお返しするというのもある、というか一番ポピュラーな方法なのかもしれないと思いました*2。だから、仕事に、とか会社に、没頭してしまう人というのもいるのかもしれないし、自分がそのようになっていくんだろうなぁという予感が、ものすごくします。

さしあたって、というか生涯にわたる問題なのですが、この醜く怠惰な生き方をしている今の自分ってどうするのよ、っていう感じではあります。

*1:自分が最年長…

*2:…ポピュラー? ちょっと言葉に問題が出てきそうな気もしますね