はてなダイアリーはもはやネット界の限界集落 - ARTIFACT@ハテナ系
こんな話があったので、ついつい乗ってしまいました。

まさに今日、はてなダイアリーについて話をして、私の今年の目標がダイアリーを更新する事に決まったところだったので…。インターネット老人会として最後まで頑張りたいと思います。
http://b.hatena.ne.jp/entry/357452010/comment/kash06


それから昨年末にも、とある会合で、とある人から「せっかくだからダイアリーも更新してはどうですか」と言われていたのも頭にあったのです。

インターネットが大好きで、ずっと読んでたけれど「コンテンツ」みたいなものを圧倒的に作り出せない人間でしたので、そこが人生の長い悩み所なのです。確かに、昔は毎日日記を書いていました。けれど、ほとんどが「リアルの自分も知っている友人向けに、全く面白くもない自意識を書き続けただけの日記」ばかりでして。
私の20代前半は、1年半に及ぶ辛い就職浪人生活と、営業として採用後にも本当に業績達成しない無能状態の中で、自分が人生のツケを払っているような気分でした。そこで「普通の人になりたい」という人生のリハビリとして、なぜか「せめて毎日、日記を書く」という行為を自分に課したのであります。
よく言うじゃないですか「簡単な事でも良いので、毎日続ける事で、少しずつまともになる」とか「自分への自信を持てるようになる」とか。


最終的には「ネットで日記を書いた」事によって救われたというより、「こんな仕事も出来ないダメな人間にも注文を出してくれるお客さんがいるんだ、話を聞いてくれる人がいるんだ」という、仕事上での日常によって救われた気がします。念のため強調しておきますが、成果によってではなく、日常によってです。相変わらず業績は地を這うようでしたし。
けれど、結局自分は就業によって日常を得たのならば、これまで就職によって苦しさを分かち合っていた同じ氷河期世代の人たちとも、底の底の苦しみまでは共有できずに、自分だけ逃れてしまったのでは……とも思うところはありました。

あぁいけない、話が大きくズレすぎてしまった。
いずれにせよ私は、人の書いたものを読み漁るばかりで、自分では何も書き残せないまま生きているのであります。今はもうブクマの人として認識されているようですが、つまりは人の書いたものを読んでコメントするブクマとは、自分が行き着く先として非常に相性が良かったのではないかと思うのです。
そうそう、創作文芸界隈でも「完全なる買い専」な人になっているので、体質的には同じですね。焼き肉の時は必ずいるのに何も書いてない人みたいな。

そんなわけで、今年の目標は思い立ったら「はてなダイアリー」を更新する事にしました。
仕事も趣味も中途半端で、私から何も提供も発信も出来ませんが、30代のおじさんが誰も読まないつまらないつまらない日記を、それでも書こうというだけの場所です。それでいいじゃないですか、インターネット。有用か面白いものしか許されなくなってしまったら、凡人の行き場が無くなってしまうから。

あと、キリスト教のこと(特にネットの匿名界隈では人も少なく不人気な福音派として)は、自分の知ってる範囲の事ならば書ける事は書いていきたいなと思います。いやでも、そこまで正確な事や深い事は書けないけど…。