聖書に出てくる「人」について(きなこ味からしいたけさんへ)

今日、こんな増田を見かけました。
○○人を「○○びと」って読むのかっこよくね?

id:wattoさんから、こんなコメントが…。

パリサイびと、サマリアびと…というコメントは、チロルチョコきな粉味アイコンの人に任せるべきだったか?
http://b.hatena.ne.jp/entry/361889209/comment/watto

どうも、きなこ味です。コールではなく比喩的に召喚されていたのですが、登場しました。
確かに聖書には「○○人(びと)」が沢山出てきます。しかし一方、「○○人(じん)」も出てくるのです。そこで色んなパターンを思い出してみたのですが……自分のブコメに短くまとめた通り、ある程度の法則があるようです。但し日本聖書協会の口語訳聖書での話になります。


まず旧約聖書では、ある程度のグループの事を「びと」と表記しております。
ウィキメディア財団Wikisourceから引用させてもらいます。

ヨシュア記3:10
そしてヨシュアは言った、「生ける神があなたがたのうちにおいでになり、あなたがたの前から、カナンびと、ヘテびと、ヒビびと、ペリジびと、ギルガシびと、アモリびと、エブスびとを、必ず追い払われることを、次のことによって、あなたがたは知るであろう。
ヨシュア記(口語訳) - Wikisource

特別なグループ、ユダヤ民族の中で誓願を立てた人を「ナジルびと」と呼びました。これも平仮名表記の「びと」ですね。

民数記6:2
イスラエルの人々に言いなさい、『男または女が、特に誓いを立て、ナジルびととなる誓願をして、身を主に聖別する時は、
民数記(口語訳) - Wikisource

12部族の中でも「レビびと」も「びと」です。普通、他の部族は「ユダ族」「ベニヤミン族」みたいに言われる気がします。ただ部族から派生した氏族は「びと」なんですよねぇ…。

民数記26:57
レビびとのその氏族にしたがって数えられた者は次のとおりである。ゲルションからゲルションびとの氏族が出、コハテからコハテびとの氏族が出、メラリからメラリびとの氏族が出た。
民数記(口語訳) - Wikisource

さて、新約聖書でございます。ここに漢字で人と書いて「びと」と読む、増田のパターンが現れるのです。
およそ部族だとか地域の人、都市の人、あとは旧約のように特別なグループが、まさにこの「なんとか人(びと)」。しいたけさんが挙げていた「パリサイ人(びと)」は特定グループ、「サマリア人(びと)」は地域の人。

では聖書に漢字で人と書いて「じん」と読む、現代でよくあるパターンはどうかと言いますと……それもあるのです。まとめて出てくる箇所があるので引用してみましょう。

使徒行伝2:1
五旬節の日がきて、みんなの者が一緒に集まっていると、
2:2
突然、激しい風が吹いてきたような音が天から起ってきて、一同がすわっていた家いっぱいに響きわたった。
2:3
また、舌のようなものが、炎のように分れて現れ、ひとりびとりの上にとどまった。
2:4
すると、一同は聖霊に満たされ、御霊が語らせるままに、いろいろの他国の言葉で語り出した。
2:5
さて、エルサレムには、天下のあらゆる国々から、信仰深いユダヤ人(じん)たちがきて住んでいたが、
2:6
この物音に大ぜいの人が集まってきて、彼らの生れ故郷の国語で、使徒たちが話しているのを、だれもかれも聞いてあっけに取られた。
2:7
そして驚き怪しんで言った、「見よ、いま話しているこの人たちは、皆ガリラヤ人(びと)ではないか。
2:8
それだのに、わたしたちがそれぞれ、生れ故郷の国語を彼らから聞かされるとは、いったい、どうしたことか。
2:9
わたしたちの中には、パルテヤ人(びと)、メジヤ人(びと)、エラム人(びと)もおれば、メソポタミヤユダヤ、カパドキヤ、ポントとアジヤ、
2:10
フルギヤとパンフリヤ、エジプトとクレネに近いリビヤ地方などに住む者もいるし、またローマ人(じん)で旅にきている者、
2:11
ユダヤ人(じん)と改宗者、クレテ人(びと)とアラビヤ人(じん)もいるのだが、あの人々がわたしたちの国語で、神の大きな働きを述べるのを聞くとは、どうしたことか」。
使徒行伝(口語訳) - Wikisource
ただし、ふりがなはkash06が手元の聖書(口語訳)から追記

さすが降誕、受難と復活に続く、キリスト教の三大イベント聖霊降臨。いろんな人(の言葉)が一気に出てきます。
そうです。ユダヤ、ローマ、アラビヤ、他の箇所ではギリシヤの人は「じん」なのです。これは私が読んでいる感触レベルで物を書いてしまいますが、一都市に限定されない国的なまとまりに対しては「じん」を使っているように思われるんですね。
ヒントになるのが「エルサレムには、天下のあらゆる国々から、信仰深いユダヤ人(じん)たちがきて住んでいたが」の箇所。生まれ故郷をさして「〜〜人(びと)」な人たちが、みなユダヤ人(じん)だというのです。当時のユダヤ人とは、割礼を受けた律法を守る人々であり、ユダヤ人として各地に散らされているので、別の生まれ故郷を持ったユダヤ人というのが形成される…という理解で多分そんなに外れてないと思います。(学術として学んでないので、微妙で慎重な表現にならざるを得ない)
この「じん」と「びと」の違いが、たぶん一番わかりやすいヒントなのかなぁ…と思っております。以上が結論でありますが、日本聖書協会の翻訳方針などを直接聞いた事はありませんので、非常に狭い知識と記憶と理解の中から私が抜き出した箇所だけで考察したものである事を、ご容赦いただければ幸いです。



…あ! ここであれを思い出した方は素晴らしい。
「ローマ人への手紙」

これって、ローマ人(びと)じゃない? そうです、そうなんです。パウロが書簡の書き出しで、こう書いてます。

ローマ人への手紙1:7
ローマにいる、神に愛され、召された聖徒一同へ。

ローマ帝国全体じゃなくて、都市ローマに住む信徒への手紙だから、ローマ(都市)人(びと)になるのだと、なんか改めて気が付いてしまいました。

それでは最後に、同じページで「人(じん)」が連続する箇所で終わりたいと思います。

ローマ人への手紙1:16
わたしは福音を恥としない。それは、ユダヤ人(じん)をはじめ、ギリシヤ人(じん)にも、すべて信じる者に、救を得させる神の力である。

時を越え空間を越え、あらゆる面で遠く離れた現代人(じん)にも、日本人(じん)にも。