こんなにも長く長く日記を放置していたのですが、はてながダイアリーやめるって言うからブログに移ってきました。
インポートしたら、1004記事。中途半端に飛び出た数ですね。

 せっかくなので日記でも書きますか。

ブクマではサラッと書いたのですが、祖母が亡くなり葬儀をやってきたところです。そこでしみじみ思ったのは、やはり何十年も我が家を知っている近所のお寺というのは、親族には安定して仲間だった事。セレモニーホールの司会者さんより、ご住職の「これでやりましょう」の指示が我が家の場合にはすごく安心だったなと。

何が安心なのかと考えると、多分、故人へも個人的に接してくれるし、同じく遺族も具体的に認識してくれているという部分が、安心したのかなぁ……と。

ここでわが身を翻って考えるに、今の教会で葬式をするなら完全にホームゲームだなと思うのです。司式者も参列者も自分の事をよく知ってくれているな、と。

ところが今の時代でどうしても多いのが、元気なうちはいいとして、いよいよ人生を終えようとするタイミングだと介護施設のお世話になり、自分が何十年と暮らした教会に行けなくなっているケースでして、これは今後どうしても仕方がない。

元気な現役時代に亡くなれば、縁も繋がったままで最期を迎えられるのかもしれないけれど、それはそれで遺された側に辛いものがあるだろうし、生きるにも死ぬにも、遺すにも遺るにも、考えすぎればきりがないものだとボンヤリ思ったところです。