たとえば学問に道を求めたとしても

生き方と言えば。結構、インパクトが強くてストックしたままのネタが。
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この手の話題について、もちろん数字上での進路やポストの話、縦社会、徒弟社会といった話も、少しは一般に漏れ聞こえてくるところで、全く知らなかったワケではなかったですが、やはり人文系つまり文学部という身近な素材ですと、インパクトありますね。

だが、大きな希望を持って文学部に再入学したとたんに、理学部との違いに面食らうことになりました。理科系では、まず…を学び、次に…を理解すればこれが理解できるという段階が明確です。従って教育体制がよく体系化されており、教官もこの体系に十分な配慮をもって教育を進めるのが普通です。しかし私が入学した文学部哲学科ではまったく違いました。哲学以外の言語学や心理学ではいかにも入門コースといった楽しい講義もありましたが、哲学の講義では、どの教官も自分の専攻の細かい問題を取り上げ、それは一般の学生や初心者が聞いてもまったく理解できないものでした。

私のごく狭い学部レベルの体験でも、種々の概論の中でも「哲学概論」及び哲学系の授業の学生ぶっちぎり率は軒並み高いですね。どうしても学問的に、たとえば素養の問題であるとか、「そもそも難しい問題に取り組むのが哲学であるから、難しくて当たり前」というのもあるのでしょうが…ですが、迷い込もうと思えば同じくらい迷走可能な「宗教学」が、まだワリと学生からも好評だった事を考えれば「哲学以外の言語学や心理学ではいかにも入門コースといった楽しい講義もありましたが」というのに、私個人としても納得です。
…それ以上に、院の話の方が強烈でしたが。

そんな事を思っていると、ちょうど関連して似たような問題をとりあげているのを発見。
ニュースメモ(2005/5/30-2005/6/4) - socioarc
法科大学院の問題が書かれたnagaitosiya.comの紹介ですね。先の人文大学院の体験記では、研究・教育機関としての存在責任とでもいいましょうか、その責任をつく形で後進へのアドバイスとしており、この法科大学院の話では、大学院への市場原理の導入*1という主張がメインになってますが「プロセス重視だと茶坊主が有利になる」という言葉は、ワリと共通する所もあるんじゃないでしょうか。
要は、評価軸が不明瞭、もしくは恣意的になりがちである、ってところですか。しかし、誰がどう評価すればいいのか、「人文系…」では専門家を「末は博士か…」では市場原理を上げてますが、問題意識はあっても「何の為」って所で見方が変わりそうなお話ですなぁ…。
大学での(数少ない)友人・知人の院生率・司法試験率が妙に高いので、ちょっと恐る恐る紹介してみたり。あー、てか結局、人が心地よく暮らせる職が世界的に足りなくなってきて奪い合いになってる延長上の話なんじゃないのか。失敗したら後がない、とか。あと、既得権者との奪い合いてか。学問から転身するなら、民間就職という意味で、既に職を得てる正社員との戦いだし*2

*1:「寡占の排除」と言い換えた方が「市場主義」「市場原理」といった言葉にアレルギーがある人にも届きやすそうな気もしますが

*2:私個人としては、いわゆる正社員といわれる典型雇用にありつけただけでも、私は既得権者の仲間入りであると思ってます。事実、ウチの部署は今年新人を入れてませんが、私より多少遅く生まれただけの誰かと、この職を廻って不戦勝かシード権か、そんなモノが形の見えないまま与えられたのですから。もちろん、まだ入って年もあまり経っていないので、その立場はまだまだ不安定ではありましょうが…