無理矢理に闘わないという無理

革命的非モテ同盟跡地
革非同の古澤書記長による(私の中では)名ボンクラ論ですが

我々は現実の軽さを武器に重い現実を軽やかに否定し打撃を与えられる。

彼らは娑婆での闘い方を指南するが、しかし娑婆での敗者に対するフォローがない。であれば敗者は敗者なりの戦い方で臨まざるをえないだろう。

私は、この2行にクラクラやられました。そういう意味では好きなエントリーなのですが…どうも、私は闘いたくない。
私とて、いくら自分で否認しようとも、世の決断主義者から見れば「いわゆるセカイ系」どっぷりのヌルヌル地獄からやってきましたダメ人間の端くれ。自分とセカイを天秤に掛けて唸るような愚かさを、どこかで隠しきれないのでしょう。しかし、自分が軽いのと同じくらいに現実を軽視したとしても、やっぱり他の人にあんま迷惑も掛けたくないし…。
それに、もし世界と自分が同じ重さにしか感じられないのだとしたら、自分と同じように世界が軽い、のと同時に、世界を焼き尽くす事と自分を焼き尽くす事が等価であるのだから、どっちを滅ぼすのが省エネかと思うと、やっぱり自分一人を処分しちゃった方が、(自分にとって)同価値にして簡単でしょでしょ…と思わずにはいられません。

ところで、本日著されたばかりのエントリーに。
ヘタレを讃える歌 - [セ]日露アナルファック戦争 大セックル帝国皇帝御坐所
非モテ活動家の益田ラヂヲによる「ヘタレを讃える歌」

私は、これを全力をもって肯定します。というか、尻馬に乗ります。だって、やる気なっしんぐダメ人間だし。
でも、超好き。マジで、マジで。でもさ……やっぱ闘いたくない。

他人を、社会を呪うつもりのないやつは、さあ、帰った帰った。

どうも呪うとか闘うのが面倒で苦手です。そもそも闘う相手を選ぶ事自体が、何かを選ぶ行為に繋がるようで…だから闘ったり呪うのも苦手です。
でも、やっぱりやっぱり、とても大事なエントリーなので、喜んで乗っけます。乗っかります。

最後に、簡単な私の理想。
カッコつけるのは、もうヤメだ。ダラダラと生存報告。(仮)

つまんないやつ、仕事できないやつ、やるきないやつは、前に出てきなさい。

無言でぬるま湯ゲームやろうぜ。

あ、誰もしゃべんなくていいよ。そのせいで、せっかく寄り添ったのがバラバラになるくらい、俺たちはダメなことしか言えないんだし。

所詮、こんなもの。

と、世界の片隅で。せせこましいホント、崖っぷちな、誰も読まないつまらない日記で。