イエス生誕の絵画の話

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ブクマに気が付くのが遅く、全く出遅れました。

多分、私のブコメは埋もれるだろうなという事と、100字では書き足りないので、私の認識をつらつら書きたいなと思いました。

ヨセフも、ダビデの家に属し、その血筋であったので、ガリラヤの町ナザレから、ユダヤベツレヘムというダビデの町へ上って行った。(中略)ところが、彼らがそこにいる間に、マリアは月が満ちて、男子の初子を産んだ。そして、その子を布にくるんで飼葉桶に寝かせた。宿屋には彼らのいる場所がなかったからである。
ルカによる福音書2:4~7(新改訳聖書

  • いまは馬小屋ではなく家畜小屋で生まれたとの認識は比較的されているのでは?
  • たしかに日本では、由木康による古い讃美歌に「まぶね(馬槽)の中に 産声あげ」と歌われているので、古くから馬小屋とは言われていた
  • 自由学園の学部長ブログに、海外との比較も含めた良い説明がありました

第140回 クリスマス礼拝「この人を見よ」 – 自由学園最高学部|一貫教育の【自由学園】最高学部(大学部)|最先端の大学教育

  • そもそも古代からローマ属州時代のイスラエルユダヤで馬の存在感といえば、律法の規定にはサッパリ現れず、完全に騎兵・戦車の文脈で現れるので、宿屋近くの生活の場にいる様子が伺えない
  • たとえば出エジプト記15:1「馬と乗り手を海の中に投げ込まれた」みたいに、もはや暗黙のうちに「馬と乗り手」と書くだけでエジプト兵とわかる使い方。これは今、新改訳聖書のアプリで「馬」を全文検索した上で書いているので、馬=騎兵・戦車の扱いについては間違いないと思う。
  • なので、ベツレヘム*1宿を取れなかった時に、一般的な市民生活に身近で飼葉桶のあるのは馬ではなく家畜小屋ではないかと
  • 私がよく聞く範囲では、ユダヤ地方では洞穴が多く、そこに羊飼いや豚飼いが危険や暑さを回避するために、建設の必要のない家畜の小屋として使っていたという話
  • ……というのは現代の理解の話だとして、問題は歴史の中での受容・認識なんだけど、参考文献として「新改訳聖書」の注解によると(逃げ)、教父ユスティノスの頃から家畜用の洞窟という理解があった様子

信徒ですが、私の実感では教会でもおおよその理解として家畜小屋と言われています。新改訳聖書の注解にも、早くはユスティノスの伝承から既に、家畜避難用の洞窟と石の飼い葉桶は、人の世と心の象徴かのよう、と。 - kash06 のブックマーク / はてなブックマーク


そして、いくつかのブコメについて

  • ツイート自体は「キリスト教図像学」つまり美術の読み解きについてなので、美術史の流れで、当時それを描いた人や鑑賞した人の理解を共有した話
  • なので「伝説なんだから」「どうせ伝承だから」「(解釈が)原理主義」といった検証みたいな話は少し本論とは違うと思う。
  • だから実際は「この絵のシチュエーションを聞いた瞬間に馬小屋だと思うのは、21世紀の日本人が無意識に持ってしまいがちな理解だけど、美術史的には違う理解で絵が描かれてるよ」という話かと
  • 「12月の洞窟寒い」これまたイエス生誕についての、もう一つ面倒な話で「クリスマスはイエスの誕生日ではない」が絡む話。聖書では、いつとは書かれていない。だから一説に「野宿していた羊の群れの番をしていた羊飼い」が野宿できる季節=冬以外という説。また一説に、イスラエルの野ならば冬でも野宿できる程度の気温はある。いずれにしても12月かもしれないし、違うかもしれない!
  • 「博士よく来たな」 イエスが生まれてから、東方の博士がいつ頃に到着したのかも聖書には書いていないので、これも別の季節どころか数年後の可能性も。ヘロデがその後、二歳以下の男の子を殺させたので、2年目説も
  • 元ツイートで聖書外典について触れているのも「中世~ルネサンス期にこれに劣らず親しまれていた新約外典ヤコブ福音書』では」という、美術作品の制作環境の話。キリスト教に対する解釈じゃないよね。


繰り返すようだけど、この話の背景は美術史で絵を見る時の共通理解についてなので、現代解釈やキリスト教へのスタンスは関係ないよねってのは、みんなわかった上で自由にブックマークコメントをすればいいけど……。*2
そんなことを思いました。

*1:ベツレヘムというダビデの町へ上って行った」「ところが、彼らがそこにいる間に」

*2:だから自分も絵画の話として受けたので、今回の記事では全て人名で「イエス」と呼び、信仰の告白としての「キリスト」という書き方をしていない