大東亜協和相撲

久しぶりに相撲中継を見ていて、言われているように外国人力士が増えたのを改めて感じたのですが。
ふと、思ったのが。こうして「大相撲」という「しきたり」のもとに世界中からやってきた力士がお互いに技を磨き力を競わせ、大相撲の発展に尽くしながら横綱を目指す世界って、戦前の日本が良心と欲望の間に夢見た「八紘一宇」の「大東亜」にとっての理想型なのかもしれないな。極端な話だけれども。
別に相撲を悪く言っているのではなく、つまり戦前の大東亜だとかも、ごく素朴な世界は一つ…少なくとも「亜細亜は一つ」から出発するんだな、って。世界中が平等なんだよ…但し、天皇の赤子というシステムを介することで、日本という素晴らしい国の一員になって共に助け合う、素晴らしい平等な世界なんだよ……みたいな*1
各国の力士が、懸命に日本語を覚え、慣れぬ日本の生活にも徐々に馴染んで「日本の大相撲」に尽くしているのを見て、おそらく悪い気はしないし、感動すら覚えるかもしれない。その反面、どこかで「日本人力士しっかりしろ」という言葉も出てくるだろう。もちろんそれは相撲という伝統競技*2の世界を「選ぶ」ことによって生み出される感動システムだけれども。すばらしい国体へのお誘いをする時も、同じような感動を覚えて一つの亜細亜を目指すんだろうかなぁ?
その時、選ぶべき主体があるかどうかは知らないけど。って、意味不明。
てか、やばっ、俺も世が世なら、「懸命に日本人に溶け込もうとする外国人」を「感動」とか「日本人も頑張れ」とか、無礼極まりない論理で美談にすり替える側になってそうだよ。気を付けなきゃっ!(?

*1:それを妨げるのが、きっと最終的に米英だとかになるんだね。でも、どう考えても描かれなかった第二部が「アーリア人編」になりそうだ。公式ストーリー的には、ジャンプマンガばりに、かつての敵だった「英米」や「大東亜」のみんながオラに元気をわけてくれるに違いない。

*2:制度自体の発祥とかはともかく、その「しきたり」を守るべき伝統と思ってること自体に意味はあるよね