本を読んだ記憶が、あまりに定着しないので、メモを書くことにしました。
恥ずかしいからリンクは置かない。

しかし、人民 demos が権力 kratia を所有するというギリシャ語の語源からすれば、民主主義の本質は政治に大衆が抱く参加の感覚である。
『メディア社会 −現代を読み解く視点』佐藤卓己岩波新書)p.23

あの頃の自分に見せてあげたい。「選挙」の検索結果 - カッコつけるのは、もうヤメだ。ダラダラと生存報告。(仮)

ファシズム民主化は必ずしも対立しない。大正デモクラシーであれワイマール民主主義であれ、その普通選挙体制の中でファシズムが生まれた事実は、何度強調しても強調しすぎることはない。

同感です。

マス・メディアは大衆に政治参加の感覚を与え続けた。それが二〇世紀的な民主化の物語である。

そして21世紀には、何がどんな幻想を与えてくれるのか気になります。むしろ、↑の私のように、自己の愚かさを理由に申し訳なさから、選挙体制から降りたくなったり、わけのわからん虚無感が伝染したり。なんだろう、ネットで叩く、祭りになる、というレベルでしか実感が得られなくて、それも匿名程度の実感で。反面、リアルでは普通に諦めてる、みたいな世界が、ひっそりと広まってるような気がしてなりませんが、だからどうしたと言われたら、別に思っただけで、僕の妄想ですとしか言いようがないのですが、困った。