嘘日記

そういえば、免許取りに行ってる頃、ちゅらさんやってたなぁ…と思い出した日付ネタ。東陽町江東試験場で免許発効されるのをロビーで待ちながら昼の再放送見た記憶が。そういえば、宮村優子は病んでる役やらせたら日本一女優だと思った。

気づいたら、かばんの中が『マルクス入門』と『経済成長がなければ私たちは豊かになれないのだろうか』という組み合わせになっていて、これは営業職として人に見せられんな、と思った。


構造どころか、単なる自分の狭い了見に囚われている、そんな私のような人間がいる事は、世界に対する悪ですらあるのかもしれないけど、問題は、どんな基軸から見てという話です。
『経済成長が…』は、今すぐに世界の舵を切れなくとも、しかし社会というものに別の可能性が皆無ではないんだよ、という忠告として読んでおきたかったです*1。そう言う意味で、今の私の生活が不当の富であることは避けられない事実なのに、それを直視する強さを持ってないどころか、誤魔化してしがみつきたい強欲さに吐き気がしそうです。
逆の視点というか、現状の社会観念から私を見ても、新しい富を生み出せない者は、淘汰されるべき悪なので、やはり現状にしがみつきたい私こそ、不当の富を受けていると糾弾されかねません。

ただ、こんなにも狭い常識でしか生きていない私ですが、そんな自分に学生時代で逃げ出したあの歴史という学問が唯一残してくれた恵みは、現代の社会、現代人の自意識なんてものは、決して全ての時間における真理でも何でもなく、ただの1つの可能性であり形態でしかないと、まぁ文字面で知る程度は出来たことでしょうか*2。それが、偶発的な可能性なのか、構造に組み込まれ変容して含まれているというのか、よくわからないけど神の導きなのか、それはわかりませんが。

…おっと、関係ない文を挿入して、また誤魔化してしまった。

なぜその切り替えができないのか。競争社会を支えている基本的な感情は恐怖だと思います。暗黙のうちに存在する恐怖です。一生懸命に働き続けなければ貧乏になるかもしれない。ホームレスになるかもしれないという恐怖。あるいは、病気になったら医者に行かなければならないが、でもその支払いができないかもしれないという恐怖です。だから、考え方を切り替えたい、切り替えなければならないと思っても、とにかく仕事を続けなければいけないという個人的な選択に当然なるわけです。
『経済成長がなければ私たちは豊かになれないのだろうか』(P.138)

本当はこの後も続けて引用したいほど。セーフティネット、そこからイデオロギー転換の話。どれも今すぐの話と考えようとしても、私のような愚衆には夢か未来にしか思えないですけど、大事な可能性。それはともかく、今の社会に最も適切な指摘だと思いました。

しかし…生き方を変える。この世の価値観に惑わされず、より良い可能性を選ぼうとする。…神を信じるって、そういう事には繋がらないのか、自分? 本当は何ら手放したくない、その良心の呵責をコントロールする便利なシステムでは、決してないハズ。
生き方を変える、価値観を変える、生まれ変わる。
そういうことですよね、ボーンアゲインのブッシュさん、そして、その国民の方々。そして私たち。

*1:「今すぐに舵を切れなくとも」なんていう留保は、生ぬるい私が勝手に入れてしまっただけで、本当はそんな誤魔化しの前置きなど書かれてません。いや、今すぐに考えを改める事は出来る、というニュアンスすら?

*2:何度「中世人、アイツらわけワカンネーよ!」と叫んだか…