眠れない

ただ、愚かなだけじゃない。
確かに集団による圧力、無配慮、当然視、それがとても暴力的になるということは知っているし、共同体の「うざったさ*1」の中には、理由のある恐ろしさがあることも、十分わかってる(つもりです)。その点、そういう圧力を相対化したり、個人を救う意味での反抗を立てるには、ネットでの意見などなどが有効…かどうかはわからないけど、それなりに流通してるってことも、何となく感じられます。けど、反面それが、結局「個人の戦い」を強いるのも、なーんか、無理。
…いや、あんま子供じみた事ばかり言ってると、今度は「昼間の俺」から「何、弱い事言ってるんだ」とダメだしされてしまうのですが。自分の態度すら一貫出来ない人間に、世界との正しい交わりなんて、無理っすよ。と。
だから、繊細と愚かが隣り合っても、相反することなく、共に「救われる」べきであるし、そうでなければ世界でない。人に許せない限界も超えて、許されうる、誰しもが許されうる、というくらい、世界の裏の本当の顔は、実は甘くて、甘い。そうであるべきだし、それが世界の姿だ。と思いたい。というか、全てが救われうるから意味が残っている。

*1:敢えて乱暴な表現をしてみましたが…