とき

…神はまた人の心に永遠を思う思いを授けられた。それでもなお、人は神のなされるわざを初めから終わりまで見きわめることはできない。
伝道の書 3:11

やたらと無気力過剰な私ですが、それでも永遠の時間があれば読みたい本だって、やりたいゲームだって、実は。いや、時という概念すら消えるほど今が続くのなら、たとえば楽器をはじめてみたいとか、根本的に違う方向を探ってもみたいだなんて思うことも。
本屋で棚を眺めてたら、つまりこういうことかなって。俺はこの棚の中で「興味を持った本を読める」のではなく、「読みたいと選んだ本だけをかろうじて読める」だけなんだ、と。他の人が、その人生で享受したモノを、ダイレクトに比較しようとするのは、キャパシティが広い人だけが出来ることであって、自分のような人間は、選ばなくちゃいけないんだ。自分が一生で読みきれる本と、それを始めたく思っても終えることが出来ない本を選り分けて、読まない本を買わぬように、今まで「諦めようか」と分類したことは、綺麗さっぱり諦め…いや、もう忘れ去って、選んだことにだけ目を向けなくちゃ、と再確認。
キャパがないから選べないのに、キャパがないから選ばなくちゃいけないという矛盾。