12年間ありがとうございました。次回の連載を…

12年間やってきたハンドベルが、今日で卒業でした。
いやー、自分では知っていたけど、そんなこと言っても若い人には今の自分で精一杯で構わないと思ってるので、何にも言わなかったですけど。

…そしたらさ、最後にちゃんとプレゼントとカードなんて用意してあるのさ。お兄ちゃんビックリしたよ。

ちなみに白い物体は「低反発まくら」なようです。選んでくれた子らしい、素晴らしいチョイスで、おいちゃんは嬉しいよ(笑

思い起こせば、教会での最初の奉仕…いや、正しくは、信徒となる少し前から始めたので、教会との深い関わりのきっかけでした。今まで教会学校には参加していたし、中学に入ってからは、なんとなく礼拝も覗くようになってみたり。けれども、まだ自分が「キリスト教徒」ではない頃。具体的には中学1年の時に、その礼拝で教会の友達が演奏してたのが、私のベルに対する最初の記憶です。教会には毎週通う、一般的に言い表せば「求道者」*1だった私に、なんとベルのお誘いがあったのでした。今思うと、同年代のクリスチャンとの生の交流により、私が福音に気づくきっかけになるのでは、と考えられたのでしょう。事実、どこかで憧れていた「教会の人たち」にこの自分が近付ける、無関係ではなくなる、心のきっかけにはなったと思います。
そして中学2年になった4月から私はハンドベル隊のメンバーになりました。そのすぐ後、6月には、またあるきっかけで、ついにクリスチャンとして自分の人生の舵を切る小さな一歩を踏み出すのですが、それはまた別のお話で。
それから、毎月の奏楽奉仕から夏のハンドベル伝道旅行(コンサート・伝道集会をする旅行)、クリスマス、復活日の特別奉仕と…毎年のスケジュールの中にハンドベルがありました。週1回、1時間の練習ですから、技術的にはまだまだなところがあったとは思います。が、どれも良い経験でした。
ノンクリスチャンの家庭に生まれ育った自分が、いわゆる「教会生活」と言われる、教会での交流やその態度を、ただ教会学校・礼拝に参加するだけよりも、もっと深く・長く実地で学ぶことが出来ました。たとえば…そう今ですと、何かの会で「(乾杯を)お願い」と振られてた瞬間、既に体がクセで「(食前のお祈りを)お願い」と言われたモノかと自動的に勘違いしてしまい、ある時は「では、お祈りします」と宣言してしまった事があったりなかったり…そんな体に染みこむようなクリスチャン生活ですよね(笑
さて、長く長く第一線の現役プレイヤーとしてやっていたのですが、就職してからは徐々に曲の割り振りからも引いていき、若い隊員の後に周り支えるような役割がほとんどでしたね。まぁ、年甲斐もなく「僕が一番ガンダムハンドベルをうまく使えるんだ…」とか、思っていたとかいなかったとか。独居房で。「しかし小僧、自分の力で打ったのではないぞ。神の御恵みのおかげだという事を忘れるな」とランバ・ラルさんに怒られそうです。
…証しでもひとネタ仕込まずにいられない自分の性格はどうだろうと思いつつ。
そんなワケで、徐々に伝承の手伝いにシフトしていった為、ある意味では自然に今日の卒業を迎えられたのかもしれません。今日の奉仕でもほとんど自分の出番はありませんでしたし。ただ、今のメンバーの中では、少しだけ突出して年長だったのもあり、演奏技術だけじゃなく、例えばベルの調整に手を出したりとか、見よう見まねで好き放題に色々とやってみたので、演奏に付随する作業も含めてかなりの事は自分でやれると思ってますが、残念なことに、そういう勝手な蓄積みたいな面はほとんど残せなかったなぁ、とは思います。まぁ、私以上に優れた後輩ばかりなので、そこら辺はどうにかしてくれるでしょうけど…。
そうそう、こんなハンドベル。履歴書的インパクトがあまりにイマイチだった私に、良質な趣味欄を提供してくれました。別に私自身がダメ人間なので、そこから話が広がるワケでもないですが、これだけは自分で自分をホッとさせられるポイントでございました。

さて、独り言としては、あまり優秀でなかったけど。
後々の自分へのメモと、メンバーへの感謝と、今の私へと導いてくれた神様への賛美ということで。どうもありがとうございました。

*1:…とはいえ、精神的にはただ遊びに行ってた程度の幼い興味であり、求道だなんて心構えはサッパリありませんでしたが