blogには忌まれることが数多あり、一つあげろと言われなば、これやこれ、人様の話題を借りて自己言及。
然れど御免。
Latest topics > 「本当に好きかどうか」を問うて自縄自縛に陥ることの無意味さを検証してみる - outsider reflex
http://cyclolith.moe-nifty.com/misc/2006/11/post_cf2a.html

「もしかして自分がいま感じている感情は、心からの物ではなく、どこかから拾って来た物を勝手にエミュレートしているだけなんじゃないだろうか」と思う事がある。しょっちゅうある。

自分も似たように思っていて、それは「自分が感じている感情は、本当に自分の中に存在しているのか俺にもわからないし、俺の頭で考えてる時点で怪しい」略して感感俺俺だったりするのですが、ちゃんとした日本語で書くと「自分の感情を、自分の知っている言葉に変換した途端に、その「自分の言葉」によって自分自身が騙されてしまい、元々あった生の感情が、異質な似て非なるモノにすり替えられてるんじゃないか」という、恐れみたいな感じでしょうか。
まぁ、そこら辺の事は仕方ないなぁー、と簡単に思えちゃうんですが。
ここで「好き」とか何とかって話が出てきちゃうと、もう一つとても不安に感じていた*1ことが。「自分の感情に正当性など存在しない恐怖」みたいな話で。もちろん、いま言葉で考えるなら「正当性をもった感情」を持つだなんて、滅多にあり得る事じゃないというか、そんなに常に自分の感情が「正しい」なんて思う方が危険かもしれないとは思いますが。それよりも真逆に極端な感じで、言ってしまえば「俺の持ってるこの何かは、感情なんて正しい形じゃなくて、単なる欲望か衝動か妄想の類の卑しいモノな気がしてならない」という感じです。いや、もちろん「それこそが正しい見解であって、今の君が自分で勝手に「感情」だと思っているモノがあったとしても、それはやっぱり欲望が自分を騙している形にすぎないんだよ」って指摘こそ正しい…と、特にはてなみたいな場所では言われるんだろうな、とは思ってますけど*2
ただ、それで結局、自分が考えても決められない事に対して、せめて感情で答えを出そうとしてもその感情ですら狂った偽物でしかないのなら、自分は何かを「する」という以前に、何かを「想う」ことすら不可能だし、それをやってみたところで「間違い」というか「過ち」でしかないんだなぁ…とか、正直思ってました。

…と書いてますが、学生の頃の感情を表す言葉が、本当にこの日本語で正しいのかどうかもわかりません。

で、結局はPiroさんの元エントリにある

「そんな下らない感情で他人に迷惑をかけてはいけない」

が一番近いかもしれません。一回りしちゃったよ。
でも、別に異性に関する好き嫌いだけじゃなくて、こう、全般的に自分の感情に確証がなくて、それで…って事は結構あったかもしれません。

以前、自分がある程度信頼できる、こう、シャープな先輩にも、そんな話をしたことがあるのですが。自分のコミュニケーションぱわーの無さのせいでもありますが、それでもやっぱり伝わらなかったといいますか。「ホントに好きかどうかわからなくなっちゃたんだねー」みたいな理解をされてしまい(それはそれで心配いただいたのは嬉しかったですけど)、基本的に「自分の感情自体に確かさがない事が不安」という気持ち自体が、まず普通に有り得ない事なんだー、と思い、結局何も言えなくなってしまったことを、ふと思い出しました。

すいません、ただ思い出しただけです。

*1:…果たして、過去形で書ける事なのだろうか

*2:もう、何が正しいかなんてわからないから、どうでもよい