モテとか脱ヲタとか、結局、個人が向き合って個人が個として救済されるストーリーしか思い浮かばない。
大乗的にはいかんのか…。

それを言うと「それじゃ、おまえさんがプロテスタント福音派なのはどうなんだ?」という話になるけど、確かに、個が神と向き合って関係を回復しなくちゃいけないって部分が、どうしても重くて、語ろうとしても語れない。少なくとも、私の周りでは誰も共有してない、大きくない物語なのに、個としての救済しか語れないというのは、なおさら口を重くさせる部分ではあるんです。(いや、それでも条件的な事を考えれば、相当、間口は広い方だとは思ってるんだけど…)(それに、倫理的に考えれば、だからこそ語らねばならないのじゃないかね?)

個人として「救われうる」という可能性の話を、もっと気軽に希望として捉えればいいのか、絶望的な格差として嘆けばいいのか、どちらかといえば後者に近い考え方しかできません。なんて矛盾した男だ。