悪人正機を道徳的に語ろうとすればするほど「悪人と『自覚している』人」へのリスペクトが高くなるけど、それは対偽善者問題へのカウンターになるとしても、反面、どこまでも「無自覚な悪」への嫌悪は止められないし、無知・無自覚の救われ無さ具合は、かえって当人の悪がわかりやすいほど滑り止まらないよね…。
そこら辺は、もうどうやっても擁護できないんだろうか? 無茶苦茶な事を言ってるのはわかってるけど、どうにか助からないのかい?
いかん、狂ってる。古代の人が調和と美と真実を横に並べたのは正しいのかも知れない。でもそれを誰も計り知れない。
仕方ない。しょうがなかったんだ。と、誤魔化せ。逃げろ。
(誰も聴いてないのに酔ってる俺が大好きです。触らないで下さい。という予防線は張っておく)