はてなブックマーク - 2007-09-24より

ロストジェネレーションというのは、一言で言うと「可能性の排除」だ。

スキル*4を磨く機会を与えられなかったのに、まさにそれを理由として社会から阻害される事(内定くれなかったのはそっちなのに!)、それがつまりロストジェネレーションだと思う。

と、ここまで書いてロストジェネレーション問題に似ているものを私は前から知っていた。それは、「非モテ」だ。

非モテも(自己認識として)「可能性の排除」された人々だ。

本当にその要求はシステムを破壊する事によってしか満たされないのか。社会に自分の居場所を作るという事は物凄く難しいことではないし、システムの間隙をぬって何かをする事はそれほど難しいことではないのではないか。

自分も多分近い世代で、同じように就職に苦しみ*1、未だぐるぐる回ってる一人として、この結論をハッキリ書ける「正しさ」(?)が好きというか、憧れるというか…。*2

先日も「モテとか脱ヲタとか、結局、個人が向き合って個人が個として救済されるストーリーしか思い浮かばない」と書いた通り、自分もこの類の悩みが「社会的に」どーーんと解決される事を想像することが出来ないのです。もっとも、私は弱い人間なので、もうちょっとセカイの方が助けてくれればなぁ…という妄想が大好きなのですが。
全ての個人が、世界に立ち向かって、なお上手く立ち回れるとも思えません。*3

「システムの間隙をぬって何かをする事」というのが、ある人にとってはクリエイティブな行為なのかもしれないし、私にとってはむしろ「何もせず、ただ、やりすごすと決めた事」がそれに当たるのかもしれません。

同時に、世界のことを思うと、他の時代のことを思うと、少なからず私は、裕福な…というか未来におびえながら現在を搾取する哀れな特権階級であることを思い起こされます。やり過ごす罪悪感から逃れたいなら、自ら富や希望やシステムから手を離すのもアリかとは思います。その勇気はおそらくありませんが。
ただ、現実とリンクしない破壊衝動が、私を幸せにしてくれないことは、この数年で痛いほどわかっているつもりです。それでも、コレにしがみつくしかないのか、誤魔化し方を身につけてゆくべきなのか…。私はともかく、もっと厳しい場所に身を置いている人が、それでも何とかやっていけるように本当になれるのでしょうか?

話が脱線しました。
ただ、何も考えず私個人だけを考えるのなら、そうやって、どうにか折り合いをつけてゆくのが一番かなぁ…と、ずっと思っているところです。

*1:個人的な事だけど、彼と同じく私も史学専攻だった

*2:いや皮肉ではなく、本当にrepublicさんに惹かれる部分だと思います。

*3:「個人として「救われうる」という可能性の話を、もっと気軽に希望として捉えればいいのか、絶望的な格差として嘆けばいいのか、どちらかといえば後者に近い考え方しかできません。(http://d.hatena.ne.jp/kash06/20070922/1190467843)」