たぶん、会社も仕事も好きだけど、労働はキライ。
「自分がやったこと」や「自分が関わった人」が好きなんだと思うけど、「社会的にと言われてる人」や、そのがやったことのうち「社会的に労働としてみなされること」や、その性質がキライなんだと思う。


自分でも、よくわかんないな。
「私とお客さんとの間で執り行われた事」や「その結果、会社にもたらされた益」は素直に肯定できる気がしますが、「私が行わなくてはならない『労働』」は、存在そのものが疎ましくおぞましい、穢れた概念だと思えてしまえる、そんな感じです。やっぱりよくわかりません。