どうせダメ人間だから、そこは自分を安売りしても良いや。「空気読め」編

関係ないけど、ネット上の文章だけのやりとりから「空気読め」って言われる方が、よっぽど恐いというか、文字だけだから余計に読みづらいから、神経使うよね。頭いい人と違って馬鹿だから文章の意味を読めてないからだろうけど。

さて、日常空間での「空気読め」ですが。これって「感情を共有しろ」って言われてるのか「君の感情までは縛らないから、とりあえずこの場の表情だけは賛同してくれないですか?」と言われてるのか/受け取るのか、の違いはありそうな気がします。
その、例えばちょっとした日常空間でのお願いレベルだったら、私は後者のお願いとして処理してしまうので、その「やり方」さえ分かれば簡単に演技しちゃうと思います。あんまり得意じゃないけど、内実怒りながら笑顔の演技をするのも、世を憂える青年風で乙なモノです。(謎
まぁ、そこまで行かなくても、基本的にみんなが笑ってれば自分も勝手に笑っちゃうタイプなのでお手軽なんですよね。
「感情を共有しろ」とまで言われるパターンも…あぁ、たとえば具体的なアクションを求められるシーンだとかだと、それに近いモノがあるのかもしれませんね。例えば、宴会などでの芸を求められる時とか。もちろん、感情云々まで厳密には問われてないのでしょうけど、不愉快なまま愉快なオリジナルかつアドリブな演技をするのって、素人の身…それも「空気読みづらいタイプの素人」では、なかなか厳しいものでありまして。
でも多分、楽観的な見方ではあるけれども、実際にはあんまり「感情云々」は問われて無くて、「俺も演技するから君もお願い」程度のお話が多いんだと思うのですよね。だから気軽にテキトーに流せばいいんじゃないかな、と、無責任男は考えております。

問題は、自分が馬鹿で鈍感なので、どういう風に振る舞えばよいのかがワカラナイというパターンだよなぁ……嫌々世間に従属する気は満々(矛盾した表現だなぁ)なのに、「出来ない」っていう限界が、自分の限界まで露呈してしまって、「自然で合わない自分」「合わせる能力すらない自分」と二重で悲しいからね。