はてなブックマーク - [書評]非モテ!― 男性受難の時代(三浦展): 極東ブログ
これと直接関係があるワケじゃないけど、中に出てきた言葉について。いわゆる「いい男がいない」「いい女がいない」論を突き詰めて「だから結婚できないじゃないか」というアレは、結構アレですよね、という話。
そもそも考えてみて「いい男」にしろ「いい女」にしろ「いい」と呼ばれている以上、たとえば「平均以上」のことを「いい」と定義した瞬間、世の中の5割の人間が結婚してはいけない禁治産者ならぬ禁結婚者になってしまうワケで。そんなハイパーインフレな世の中、近世の江戸くらいかと…。*1

それを打破したいなら、考え方を変えるしかないと思います。
もし「ふつーの人がふつーに結婚するのが、ふつー」だとあくまで考え続けたいのなら、その普通の人なんて欠陥ありまくりなんだという事そのものから逃げられないんじゃないかな。そう、あなたの目から何ら魅力を感じられない誰かこそが、そのふつーの人であって、まぁ自分勝手に査定をしようが何だろうが、結局、そのふつーの欠陥人間同士で覚悟を決めて生き続けることこそが現実の一生なんだと思うしかないかもしれません。
でも、やっぱり現在を生き残れる結婚を考えると「いい男」「いい女」じゃなきゃ…というのなら、それでいいでしょう。自分自身がその「いい」誰かに含まれなかったことを受け止めて、結婚はしないのがふつー、出来るのは特別な人だと割り切って、当然、特別じゃない自分はその域に達していないのだと謙虚に生きていくしかないのでは、と。

はてなブックマーク - 「非モテ」のゆくえ-澁谷知美さんの見解に触発されて- - 続・たそがれ日記 - 楽天ブログ(Blog)
ブクマでも言われてるけど、前半のみを取り出すなら悪くないエントリなのですが、こんな話だと思う。

しかし、生涯未婚率1.2%、つまり、ほぼすべての男性に、女性が分配される社会というのは、歴史的にみてかなり特殊で異様な社会のように思う。
裏返して考えれば、それは、結婚しないことが許されない社会だからである。

私が言いたいのは、生涯未婚率1.2%のような、結婚しないことが許されない、結婚を強いられる社会が、果たして健全であり、標準化されるべき社会なのだろうか?ということだ。

「世代を繋ぎ続ける」のに、たとえばムラをつくり、家族を形成した方が単純に有利だったのもあるだろうし、未だに経済的なスケールメリットみたいなのが存在するのは確かだけど、じゃ、たとえば近代的自我とやらに目覚めてしまった後も、それを続けるの?って話。
さらに続ければ、近代もいい加減後期なんだから、人生の全てが、一挙手一投足が、自己責任による選択にされてしまった事。「伝統的なスタイル」を、ただ守ってるだけですよ、と言ったとしても「彼は伝統的な生き方を選んだんだ」という自己責任な選択に全てが回収されてしまうのですから、そこをどう落とし前を付けるか、みたいな。*2

はてなブックマーク - 異性に対して積極的でない男性について - 日記&ノート(転叫院)
ここの元エントリで言われるところの第2項。

本当に問題にすべきは、「臆病に生きる権利」とでも呼ぶべきものが、この後期近代においてようやく認められかかっているということで、若い男性の性欲がどうこうとは関係ないし(生物学的な性質の統計値が一世代や二世代で変わるわけがない)、優しいとか優しくないとかいう話は瑣末な自意識ゲーム。

後半はパスして、この項だけを取り扱いたいんだけど、やはり色んな選択肢から道を選べるようになったと思うのです。いや、選べるようになった事が重要なのではなくて*3「色んな」選択肢が発見され、何を選んで良いかわからない、そもそもどんな選択肢があるのかすら把握できない、というくらいに「選択できる/しなくてはいけないポイント」が増えてしまったのだと思います。ただ、ポイントだけは無限増殖した気がしますが、道自体はあんまり増えてないような気も…まぁ、そこは単なる感触だけですが。。。

*1:存在したことがないだろ、とは言い切らない私の良心

*2:そもそも、そんなものはたいして歴史をさかのぼれないエセ伝統の事が多いですが…社会構造がどんどん変化してるのに、変わらない何かなんて、そうそう無いと思う。

*3:選びやすさ自体も、時代によって変化してきたとは思いますが