久々の日記が、こんな話なのも残念だけど…
まとめよう、あつまろう - Togetterというまとめが、はてなでも話題になりました。
私、ブコメではこんな事を書いてますね。

他の宗教の信徒を神社で参拝させるという行為への違和感 神道の神を信仰する人はいないの? - Togetterまとめ

たとえどんなに今時の人たちが相互理解を探っているとはいえ「参拝」と「見学」の差は、果てしなくあり得ないほど遠い。逆に、キリスト教の聖餐に「参加」しようとしたら絶対に断られる。そういう聖なる領域はある。

2016/05/26 12:11

はてなブックマーク - 他の宗教の信徒を神社で参拝させるという行為への違和感 神道の神を信仰する人はいないの? - Togetterまとめ

あくまで見学については何も思わないし、私も葬儀であるなら最大限故人を尊重している。だが「あくまで自由に拝礼してもらう」と、スタイルが自由であっても拝礼に含まれてしまう重大さがはてブでも伝わらないのか!

2016/05/26 12:21

さて、今回は2つほど書きたい事がありまして。
そもそも、まとめの発端となった記事についてと、はてブの反応についてです。

報道における「参拝」と「訪問」について

【伊勢志摩サミット】G7首脳、伝統体現する「御垣内参拝」で伊勢神宮訪問 「正式参拝」精神性触れる場に 安倍首相は個別で参拝も(1/2ページ) - 産経ニュース
G7首脳、伝統体現する「御垣内参拝」で伊勢神宮訪問 「正式参拝」精神性触れる場に 安倍首相は個別で参拝も」というタイトルにある通り、記事だけを読むと「参拝」「拝礼」にこだわっているようです。
【伊勢志摩サミット】25日にも日米首脳会談 26日にはG7首脳がそろって伊勢神宮参拝 - 産経ニュース
同じく産経13日の記事も「25日にも日米首脳会談 26日にはG7首脳がそろって伊勢神宮参拝」と参拝であると報じていますね。
ここが一番の論点ですが、特定の宗教の形で「参拝」を組み込んでしまうとは、あまりに強引ではないかというのが最初の着火点であり、私の着目点でした。ブコメもそれに準じた形で、とにかく「見学ならわかるけど、拝礼してもらうという表現に含まれるのは本当によろしくない」と繰り返しました。

そして当日の報道ですが…
http://www.yomiuri.co.jp/feature/TO000959/20160526-OYT1T50158.html
G7首脳が伊勢神宮訪問」
http://www.asahi.com/articles/ASJ5W6420J5WOIPE02H.html
オバマ米大統領が26日に訪問した際の記帳の内容を仮訳とともに公表した」
【伊勢志摩サミット・フォト特集】伊勢神宮にオバマやメルケルら首脳陣がずらり勢ぞろい あのファーストレディーも… - 産経ニュース
三重県伊勢市伊勢神宮をそろって訪問した。」「首脳らと内宮の境内を歩いて回った。」

参拝してないですよね、訪問ですよね?

それから伊勢神宮の発表
伊勢志摩サミットに伴うG7神宮表敬について|お知らせ|伊勢神宮
「御神前では首脳各位が御垣内みかきうちに進まれ、我が国の伝統にそった形で表敬いただいた」
やはり、御垣内まで「進まれ」たけど「表敬」したと書いてます。

それもそのはず…
各国首脳ら伊勢神宮に集合−毎日新聞
「主要国首脳会議に参加した各国首脳らは26日午前、討議を前に伊勢神宮を訪れた。政教分離原則に配慮し、参拝ではなく訪問の形をとった。」




明確に、参拝じゃないって決めてあるじゃないですかーー!




参拝ではないように手を回したり、当の伊勢神宮も気を付けて「表敬」と表現しているところ、直前の25日まで参拝の方向で報道しているのは、どうなんだろうと思ったり。
【伊勢志摩サミット】G7首脳、伝統体現する「御垣内参拝」で伊勢神宮訪問 「正式参拝」精神性触れる場に 安倍首相は個別で参拝も(1/2ページ) - 産経ニュース
「正式参拝の「御垣内参拝(みかきうちさんぱい)」で内宮に参拝する方向で各国と最終調整していることが24日、分かった。」
それとも、最終調整の内容が本当に参拝だったのだろうか。そうであるなら、さすがに「それはしてはいけない」と思います。

結局、この件では参拝は行われなかったので、まとめにあるような懸念は「起きてない」という認識で最終的には決着だと思います。ですが、まぁ、今回の件で言うと日本政府に対する懸念が巻き起こった原因のうち、半分くらいは一紙の報道のせいなんじゃないかな…とも思ったり。

はてブでの反応

上で述べた通り「参拝」として巻き込むのか、「見学、表敬訪問」なのか、その違いが一番のポイントだと考えました。ですので、訪問先が伊勢神宮である事について、政治的な反応はそれぞれあるでしょうが(たとえばhttp://www.yomiuri.co.jp/feature/TO000959/20160527-OYT1T50021.html)、宗教的には訪問する事すらいけないとは思いませんでした。

ですが、たとえばクリスチャンにとっての十戒の例を出すまでもなく、他宗教で神と奉じるものを拝む行為に自身も加わる事を、そうそう認められない事の方が多いのではないでしょうか。何度も繰り返しますが、自ら拝する行為と、見学の違いは確実にあります。

今回、まず驚いたのは大元のまとめのタイトルが、「参拝させて、神社はいいのか」という方向で。いや、それを問うなら、参拝させられる方の事も気に掛けようよ…というか、元tweetはそういう懸念をしてたのに、なぜ、そのタイトル……。(そして、はてブの感想もタイトルに対しての呼びかけと、中のツイートに対する呼びかけが混ざっていく

そしてはてブの反応で戸惑ったのは、「〜〜も訪問している」とか「神社の方は気にしてないから大丈夫だよ」という声が、意外にも多かった事。確かに訪問する事、敬意をもって表敬する事は大切な事だと思います。外交上でも。ただ今回の報道は、そこを「参拝する方向で最終調整」なんてしてるから私は宗教的な引っ掛かりを覚えたのですが……でも、考えてみれば日常で神社へ参拝すると言っても「見に行く」程度の軽いニュアンスで使ってる事の方が多いですもんね。日常語として口に出す「参拝」の軽いニュアンスと、特別に宗教的な背景を気にしながら「参拝」の文字を読むのでは、背景が違うから意味の重みが違うというのも、なんとなく理解できます。

もちろん、ブクマでも「訪問する」が「参拝しない」だろうという外交上の配慮を読み取ったコメントはいくつもあり、私もそうした中の一人のつもりです。
その上で、もう一つ「宗教の相互理解」についてですが、当然、同じ法則ですよね。訪問するけど参拝はしない。理解はするけど同一化しない。
いくつかカトリックの聖体拝領を引用してるブクマがありましたが、距離感としては近い話ですね。カトリックでは聖体拝領・プロテスタントでは聖餐式(主の晩餐式)と呼ばれる式があり、キリストを記念する為にパンと杯をいただく事をします。(コリント人への第一の手紙11章23〜26節より)
聖体拝領式では「カトリックの信徒」であればパンを頂きますが、そうでない人は見学(もしくは祝福を受ける)に留められます。根拠等々まで遡ると今日のところは冗長になるので、そういう事だと思ってください。
プロテスタントの私は、そこで敬意を以て見学しますがパンには預からないわけです。私たちがするのはそこまでであって、それ以上を「やっていいじゃん」の雰囲気だけでは、渡れないわけです。

そして最後に思うのが、線引きをどこに置くのかは個人の良心であり、個人の信仰心であるので、誰がどうしたから全員そうするべきとは言わない方がいいという事。たとえば、私は葬儀に関しては故人を最大限に尊重する一環として、その宗教のスタイルに従う事もするのですが、私と同じクリスチャンの人でも中には考えに考えて、焼香が始まる前に丁寧にご挨拶に伺う人、落ち着いた頃に挨拶される人など、様々な考えがあります。それは、その人が神との対話の中でそう結論を出した事であり、同じ宗教であっても他人である私がどうこう言うものではありません。
ですので、「知り合いのクリスチャンは〜〜してたのに」「あの寺の住職は理解あるのに」と、ハードルの高さ低さに関係なく、一律な基準を振り回すのはなるべく慎みたいと考えるところです。考え方と行動と、この辺りは色んな取り合わせがあるのですから。