先週の読了(前半)

カーニヴァル化する社会 (講談社現代新書)

カーニヴァル化する社会 (講談社現代新書)

タイトルだけ見て 『終わりなき日常を生きろ!』→「無理!」 という、世相ネタ…格好悪い言葉でいうと若者論的な本かと思ってましたが、いえいえ、これは私の見当が間違ってましたっ!
深く理解出来なくとも、とにかく面白かったです。キャラとしての人格というのが、どんなところから来ているのか、何をもたらすのか……なるほどな一冊です。盛り上がり、冷め、また何かで盛り上がって、刹那の幸せを確保するしかないのですかね。「君のその空元気、もう限界に来てる」*1だなんて言ってる場合じゃない、と。(苦笑
さおだけ屋はなぜ潰れないのか? 身近な疑問からはじめる会計学 (光文社新書)

さおだけ屋はなぜ潰れないのか? 身近な疑問からはじめる会計学 (光文社新書)

dokさんの日記を読んだ時には、てっきり積んでいるのかと思っていたら、実はまだ買ってなかった一冊。どうも最近、どこまで既に買っていて、どの本が欲しいけどまだ買っていなかったのか、覚えきれなくなってきました…。
とりあえず読みやすく面白い本だと思いましたよ。わかりやすいし。
ただ個人的には

むかしからずっと文系人間で(大学では文学部史学科に在籍)

が、一番驚きました。(笑)
この人すげぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!

これもオススメ。前著『自己コントロールの檻―感情マネジメント社会の現実』(ISBN:4062581779)と併せて、どうぞ。『自己コントロールの檻』の方では、「心のコントロール」がいわばインフレ化している現代像を打ち出してましたが、今回はまさに「マナー神経症」といった相互の目線といいましょうか、内への監視と外への不可視とそれに対する批判みたいなのが云々。(説明放棄)
もちろん、私がこの頃最もよく目にする「キャラ」と「人格」は、ここでも登場しますよー、と。
どちらの本にしても心に留めておきたいのが、「マナーや精神状態が悪化した」という論をそのまま引き受けるのではなく、むしろそんな意見の裏に隠された、マナーに対する視線のインフレに注意すべき、という論点です。

*1:奥居雅美「戦場のマドンナ」

V-sit.

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