サマーウォーズを見てきましたよ。感想。

映画「サマーウォーズ」公式サイト

細田守監督作品なのですが、そこをつっこんでもよくわからないので、今回はスルーさせてください。ただ、日テレ企画の制作マッドハウス、プロデュースがバップというのは、いつも通りの組み合わせですね。相変わらずバップは大島満氏と田村学氏が元気に頑張っていて嬉しいです*1

さて。ネタバレは一切しない程度に、感想とかを書きたいな、と思います。こういうのに真面目に取り組もうと思った事自体、久々かも。


あらすじ
まぁ、そんなワケで少年は、少女とその一族と共に「何か」と闘う戦に巻き込まれるのでした。
どんな敵が、どんな驚異で迫ってくるのか、どこでどんな戦いが繰り広げられるか…ここはぜひ映画館でご覧になって下さい。

私が受け取った、この作品の一番の感想。

「全く個別の特徴/特色を持った人達が、自分の出来る事を持ち寄って、そうして世界はまわってるんだよ」…って事を肯定的なメッセージとして描いた作品なんだと思いました。


上田に集まった、とある一族(とその他の学生2名)が、世界を巻き込んだ騒動と戦うという、まぁ、とんでもない話なのですが。彼らは、それぞれが持っている個人的な才能や、社会的な身分・所有・職能、さらには偶然立ち置かれた立場を活かして、それぞれの場所で『サマーウォーズ』を戦います。中には高校球児の了平君のように、物語の主軸である騒動とは、いっっっっっさい切り離されて、ただ一人、甲子園の長野県大会を舞台に戦ってる者もいます。しかもテレビの中継を通した、ブラウン管の向こう側で。

あるいは東京で、あるいは中央道の渋滞の中で。自分の仕事を通して世間の為に戦ったり、ただみんなの元に集まる為だったり。
オトコノコ達は戦をして、女の衆は家のことをして。それぞれが良い悪いではなく、現実として、別々の場所でこの『サマーウォーズ』を戦っています。 しかし彼らは「孤」ではなく「個」として「この『サマーウォーズ』」に参加している…そんな風に思います。

物語の妙、と毒

ところで、この作品。
実際に絵として描写される部分は実に細かくリアルなのですが、よくよく見ると設定やストーリーは、実に現実離れしているのです。

じゃあ、リアリティが無いかといえば、そうではなくて…単純な話、ストーリーそのものがとても盛り上がるのです。一族(と学生2人)が団結して対決するシーンなど、緊張と感激の余りに体中の血管が縮み、全身から一気に熱が引いて鳥肌立っていくのを感じたほどです。

ただ、その「所々リアルなのに、ストーリーはまさに大団円」というのは、物語としての面白味であって、この作品の最も大事なメッセージ(だと私が感じたモノ)とは別だということを断言しておきます。


サマーウォーズ見たら死にたくなったはてな匿名ダイアリー

気付けば結局、世界を救うのは世界レベルの才能とコネあらばこそ。
(中略)
俺にはなーんもなかったなあ。
(中略)
いい映画だよ。いい映画なんだよ。なのに吐きそう。

それは、きっと物語の毒です。
誰もが楽しめる物語である為に生み出された「作られた世界の美しさ」と、身も蓋もない現実の世界を、ダイレクトに重ね合わせて絶望する必要はないと思います。

(もしくは、身も蓋もない現実や、美しさを望んでも得られない悔しさは、押井守が描いてくれます!)
(「押井なら…押井ならきっと何とかしてくれる…!!」)

物語を面白くする為に、世界レベルである必要があったのかもしれません。というか、誰でもあるようなお困り事では生み出せない「痛快さ」の為に呼び出された記号だと思います。

問題は「世界レベルの才能」かどうかではなく、「血の繋がった一族である」かでもなく、たまたまそこに集った人々の中に、私が私として組み込まれて、反応をする/反応が及ぼされる、という事だと思います。(…でないと、東京で一人戦っている、普通の学生な佐久間君がかわいそうだ!)

「世界を救う」のは物語上の必要であって、現実世界での必要条件ではありません。十分条件ではありましょうけど、そんな事態なんて、まず起こりようがないし。


ただ、増田の彼にとって、その面白味の部分が痛かった…というのは、確かにそう感じる人もいるかもしれません。
たとえば、炭酸のないコーラなんてとても飲めないけど、その炭酸が痛くて苦手な人にとっては「確かにコーラは美味しいんだけど、炭酸が痛いので飲めない。好きになれない」という事になりますし、現にそうした人も普通にいたりして、僕らはそれに普通に接しているハズだし、時間が何かを解決するかもしれないし。

最後はハッピーエンドですよ

「そこには恋でもない、友情ではない、何かがある。」
公式サイトで配布されてるデジタルポスターに書いてあったコピーです。

まぁ…お約束なので、少年とヒロインは恋愛っぽいエンドになるのですが、僕が思うに、彼は「彼氏」から始めるのではなく、「家族」から始める方がストーリー的には自然だった気はするのですが、ともあれ、お互い何も踏み込めてない、入り口に立ちましたよ…って感じは良かったです。

(せっかく一族と結んだ絆も、これ下手に付き合ってしまったら、別れた後は辛いだろうなぁ…とか、非常にいらない心配をしてしまった28歳はて非の夏でした)











おまけ

主人公もヒロインも、作品内で進行する「事態」に対して戦うのですが、そこで「自分の内面の問題」に引っかかってしまって、「自己との戦い」と「世界との戦い」が密着してしまう…要はエヴァのような、いわゆるセカイ系とかには全く陥ることなく、ストンと物事に対応してるのは、面白いというか、すごいというか…へぇ、と思ってしまいました。
作品が表したいモノが違うと言えば、その通りなのですが、やはり時代が違うのかな、とも思ってしまいます。

それはエヴァに始まって、雫や痕で自意識問題に投げ出された私たちの世代が抱える問題なのかもしれません。自分の自分でない部分、自我では望んでいないような浅ましさを無意識に抱えた自分を信頼できず、何も出来ないまま立ちつくしてしまう事とか。いや、自分ばかりではない、自意識を抱えた他者同士のコミュニケーションに目を向ければ、そこで「未来にキスを」で主人公ではなく、ヒロインの意志が描かれたことに心を動かされた事とか。

そういった位置からこの作品を見上げれば、まさに痛快でもあり、でも、これを肯定的に受け取ろうと思ったのでした。

皆、自然に自分の出来ることをしているだけです。でも、戦っているのです。そこでは、自分の意志で「戦う」「戦わない」はあっても、「意志がない」という状態はありませんでした。いや「意志がない」事すら「わからない」。「自分に意志があるかどうかすらわからない」状態などあり得ませんでした。

真希波・マリ・イラストリアス「へぇ…エヴァに乗るかなんて、そんなことで悩む奴もいるんだぁ」

…ということですかね。
僕は真綾さんの声も、メガネの子も好きなので、人類が補完されないのならマリを選んで「気持ち悪い」と言わせてみたいです。
(爽やかな映画の感想を、最低な感じで終わらせてみる)