「あっちには俺がいないし、必要もない」って思った時の話

元長柾木論 ゲームにおける選択について

唸りながら読んでしまった。
もちろん、こんな高尚なことを考えられる脳ではないし、実際に「未来にキスを」をプレイしていた時も、そんな読みが出来たわけではない。
けれど、感覚としてはとてもよくわかる…ような気がする。

実際、何度も書いた事があるけれども、この柚木式子との会話を通して、うまれて初めて「女の子とお話をする事の楽しさ、考えを聞かせてもらう事の喜び」みたいなのを実感したので、そこは「幼なじみの従妹といちゃいちゃごろごろするゲーム」というコンセプト通りに受け取っていた。
それと同時に、物語が終わりに向けていくにつれて、この話は終わってしまい、本当の自分はそこにいない、という事が切々と感じられてしまった。
というより、あれだけ所々でシンクロしていたと思った主人公(キャラクター)が、結局、現実の自分とは何の関係もないのだと痛感した。その結果、一方で物語に則り式子ともお別れし、もう一方で心地よい物語世界からも「さようなら」を宣告されてしまった。

気付いたら私は、誰とも出会えていない、ただの生き物になってしまった。

結局私は、この手のゲームを一切やらなくなってしまい、式子ちゃんが最後のお相手という事になるのだが、その後は慎ましやかに、単なる現実世界で息をしているモノが、描かれた絵を気持ちよく消費してる程度の意識しか持てずに、ワイワイと2次元コンテンツを摂取するのでした。
「向こうには俺はいない、俺の手は向こうに届かない、何があっても居てあげられないし、俺のところにも居てくれない」という壁であっけなく息絶えた。

あまりに多くの現実の時間と機会を逃し続けた結果、ようやく辿り着けたのが「向こうに俺はいらないし、必要ともされていない、けれども俺にとって居て欲しいから勝手に心に迎える」という、実に捨て鉢で自分勝手な選択でした。
ところが、それによってむしろ相手の事を、思う事が出来るようになったという…。

もちろん、自分がいつこれに気がつけたのか、誰によって気がつけたのかは、皆様ご存じの通りでございます。去年の初夏、実に最近のことでした。

そして、今はまた違う生き方が出来る気がするのですが、それはまた別の話。