いきなり思い出した

今日は日記の前に思い出したことから。なので日付は後回しでね。
先週の独身会で話題の上ったネタあらかた取り上げたつもりでしたが、1つだけ、私が疲れてグダグダになりながら吐いた台詞のことを、すっかり忘れてました。
「なんだかんだいって、結局blogでカッコつけたいだけなのに、かっこわるいことばっかり書いてるんだよね、意味ねージャン、って!w」

格好付けたい→じゃblogだ、と短絡的に直結して書いてるワケではないのですが、よくよく考えてみれば、別に日常的に情報を発信するとか、日記を書くような必要性が私の中には見られないのですよ。こんな不必要なことをする私は何なんだ。じゃあ一体その動機が何だと考えてみれば、結局行き着くのは自己満足にも及ばない自惚れと一人遊びじゃないかと。しかし、txtベースでそれを書いてlocalに保存して何度も読んでいればいいものを、わざわざブログホスティングサービスを利用して、尚かつメッセなどで知り合いにurlを配っちゃったりしてるワケでさ。痛い。
自分が、少しでも自分の弱い所、マイナスな所、恥ずかしい所を見られたくないような性格なのはわかっているので、そうなると、結局はここで書かれるのは「見せても良い自分」だけ。まぁ「勢いで書いたけど消すのもめんどくさい部分」もありますが。

…という分析(?)を踏まえまして、先の台詞が出てきたのですよ。
そこで考えました。つまり、自分には(あまり明示的でないけど)理想人格段階があり、現実の自分は取りあえずスルーして、自分が意識して現す開示段階が一方としてある、そして、そのバランスが少なくとも「理想側」からの要求としては「どーなってんのよ?w」というところらしいのです。
第一級の理想人格としては「とても理知的な一般人である」という、これは普段からあまり意識もしなければ、どちらかといえば建前上というか、お題目というか、目指しもしない単なる名目上の理想。その下あたりから妙にリアルになってきて、「まぁ、一般人レベル*1な感じ?」とかがありまして、最終的には「いや結局は一般人になれないけど、バレないようにそんな振りをする」というレベルに行き着きます。幸いにも、この「一般人のふりレベル」というのが、わたしの情報開示段階の最もセキュアレベルの高い段階と、ほぼ同じだと思います。いや、どっかで理想に繋げる為に不都合を隠すのだから、どこかで重なるハズですね。こっちの開示段階は、どちらかといえば横並びの中で、どれとどれを選択するか、みたいなイメージです。あ、でも、もちろんその1つ1つに貴賤が存在してしまってますが*2。そんな都合のいい順列組み合わせによって頑張って自分を構成してるのですが……どーも勢いに負けて、選び方が甘いんじゃないの、と。(苦笑)

まぁ、そもそも考えてみれば、別に自分の一部分を隠すことが本当に悪いことなのかと言えば、そこはどうも「素の状態」を好む時代的な価値判断が隠れてるだけのような気もしますが*3

何を書きたいのかアウトラインも考えてなかったので、思いっきり流れるがままになってますが、そうそう。どうやら、表に見せる以上「かっこいい自分」をホールドしときたいみたいなんですが、どうも最近はダメさが前面に押し出されて、内心どうよって思ってるらしいです。




(予測)
↓みちしるべ「何いってんの、そこが君の良さじゃないか」 みたいなコメントがつく!!

…どういうオチだ。

*1:具体的に何が? という部分がわかっていないけど。…これは非常に根本的な大問題で、達成されることのない目的を求めるというか、目的のない目的を求める不毛さを生きる限り繰り返すので、仮にどこへ向かっても不能感は払拭されず、むしろどこへも向かわないという選択こそが合理的になってしまう矛盾を抱えたまま、あーだこーだ。

*2:趣味に限らず、……に貴賤はない、とは言いますが、そして私自身もそれを理想としますが、やはり他者に「見られる」ということになると、容赦なく自分を構成するパーツについても貴賤のより分けをしてしまいますな。

*3:隠し事を推奨とか肯定するワケじゃないですが、言わなくていいことは言わなくていい程度のアレね。