- 非モテっていうけどさ、別に色んな立場でもいいんだね☆
- 結構意味が広いみたいで、実際の男女の関係ではなく、人間関係の取り結びの問題、というか…もっと言ってしまえば、人との関係の中でうまくやれてそうでも、実はいつも自分が欠陥を抱えているように感じてしまっている、そして人と関係する中で苦痛を感じてしまう、みたいなところをひっくるめて「非モテ」と言ってしまえそうな雰囲気と判断。
Kitaringさんのまとめに付いてるご本人のコメントが、どんぴしゃ私の思っている感じかも。
恋人が居ようが結婚していようが、明日には自分は見捨てられると考えるのが真性非モテなんじゃないだろうか。
Kitaring☆彡WEB - ここにいるよ。 - Re:Mote参加 コメント欄
こういう感情って、ものすごくドメスティックな感情というのか、日常と切っても切り離せないケの領域の話なんじゃないかと思うんです。そこいくと、確かにblogというのは手段としてはワリとハレ側の領域ってのは、何となくわかります。だから「blogやってる時点で、モテ」という自省のような、自戒のような言葉が、あの会場で出てきたのかなぁ、とも。ただ、本当にこういう感情が埋もれたままでいいのかと言うと…自分なんかは、面白い非モテblog様が多数現れたことで、または自らある種のレッテルを名乗ることで、何かの集団に紛れ込むことが出来るんじゃないかと思えた事で、正直ほっとした、安心したという面が大きいのです。
まぁ、そこまで言ってしまうと、多分、非モテ本流(?)からは「アレは非モテですらない、ただ何かのなりそこね」という評価をされてしまうでしょうけれども。もう、それで良いと思います。
- カールは言っていた。「上部構造は下部構造が規定する」
(「天の道を行く人」のマネをしてみたけど、余り似てないなぁ…。)
実は、就職浪人をしたときに気づいたのですけど、結局のトコロ、自分の職業とか生活が一番不安なワケで、blogでワーワー言ってるほど非モテが一大事というワケじゃないのです。
ただ、どちらも橋渡しをする一本の太い不安があって「お前は欠陥を抱えているので、人との一般的な交わりが不可能だし、それがどのくら不可能なのかすらお前は気づけない」という思いが、多分全ての活動というか暴走のベースになってる気がします。で、頭が良ければ「コミュニケーション能力が…」「社会の要請する…」といった小難しい側に身を委ねることも出来たでしょうけど、私にはせいぜい非モテという切り口でしか、ここら辺の人たちと関われる方法がなかった、というだけなのかもしれません。いや、結局自分のように鈍い人間では、非モテ集会でもモノを知らなさすぎて入り込めなかったという悲しさも、なくはないのですけれども…。
- 「非モテの街」という名称自体が、広く解釈可能だった!
「非モテの街」の話って、実はみんなが思い描いた意味が違ってた面もあった、と知りました。私は「非モテの(ホッとできる)街」だったのですが、中には「非モテの(沢山いる)街」だったり、逆に「非モテの(最も代表的な感覚である「疎外感」をたっぷりと受けやすい)街」でもあったそうです。「ほっとできる」街と「疎外感を感じてしまう」街じゃ、そりゃー答えも正反対になりましょうなぁ…(;;
あと「乾杯の音頭」に微妙に違和感*1を受けてしまったけど、それこそ「ネタ」であって、そこにマジレスするのは空気読めない証拠になってしまうとこだった…のかな。それとも、まさに「色んな立場でいいんじゃない」ってとこかもしれません。