一部非コミュに於けるblogの効用の限定性について

今週もあと少しで終わると思うと気分がいいので、久々に外の話題にも積極的に触ってみようかな。
文化系ニートの自己実現ツールとしてのブログ(およびその限界)古田ラジオの日記「Welcome To Madchester」より)

「文化的趣味をもちながら、(むしろそれゆえに)社会から阻害されている人間」(文化系ニート*1)がblogで活動する事で受けるメリットと限界について、だそうです。世間的に使い古した言葉で説明すれば「インドア派」みたいな言い方をされる人々でしょうか。私もそうですが。
さて、そんなblogのメリットと「文化系ニート」の親和性について、ですが。

ブログのメリットといえば、

  • コストゼロで(原理的には)全世界に向けて発信できる
  • 自分勝手にできる。=やるのも、やめるのも、更新頻度も自分で決められる
  • (あくまで感覚的にだが)評価される閾値が低い。
  • コミュニケーション弱者に優しい。エントリ、コメントで主に交流するため、即時的なコミュニケーションを必要とされない。

以上のような点だと思いますが、文化系ニートというのは大概はコミュニケーション弱者であり、ものぐさであり、自意識過剰です。そんな文化系ニートにブログはまさに鬼に金棒であるといえるでしょう。かくしてブロゴスフィアには文化系ニートのブログが大量に発生することになります。

ちょっと一気に引用させていただきました。
メリット4の「コミュニケーション弱者に優しい」というのは、いきなりで驚くかもしれませんが*2、「即時的なコミュニケーションを必要とされない」という特徴は確かに見逃せない点だと思いますが。
とはいえ、ちょっとココで疑問に思ったのが「文化系ニートにブログはまさに鬼に金棒である」という部分。

うーん、何でしょう。「リアルタイムのコミュニケーションが苦手な人←なぜなら、文化的な分野に特化して秀でているから」という関係が成り立つ場合に、「文化的に秀でている→良いbloger」という方向でステップアップ出来ると思うのですけど。もし、矢印が逆な場合「リアルタイムのコミュニケーションが苦手→だから文化的な分野に逃げよう」という関係であると、必ずしも文化的で強い(?)blogになれるワケじゃ…というか、正直、blogの海でもパッとしない気がするのですよ。

で、id:republic1963さんの懸念や、感じている限界というのは、「ネットでの成功とリアルでのポジションのギャップを、どう折り合い付けるか」という部分だと思うのですが。率直に申さば、ネットでの中流クラス故の特殊な悩みなんじゃないかなぁ…と。
「文化系」に特化して、リアル社会で通用するクラス(職業としての学問?)が「エリート文化系ニート」なら、「ネットで成功だけど…」のクラスまで行って悩めるのは「プチブル文化系ニート*3
多分、リアルでもネットでも「人を眺めるだけ、羨むだけ」の「ボンクラ文化系ニート」の裾野が広大に広がってる気がするんです。樹海、樹海。


…いや、別にそれが「悩みが贅沢でうらやましいよー、きえぇぇぇぇ」って言うんじゃなくて。
むしろ、仮にこの「blog道」を順調に歩むことが出来たとしても、依然として自分が変わるわけではないという現実が、再び大きく突きつけられた気がしました。これは悲しい。正直言って、悔しい。
憧れのblogerですら悩みだらけだと思うと、この先、不安というか、悔しくありません? むしろ、そういう感じが今回のオチです。


ただ。
私は、たとえばrepublic氏にしろ、他の論客の方々にしろ、この「blogというシステム」が無ければお互いが「ただのひと」として、ひっそりと歯を食いしばって誰にも知られず生きていくところだったのを、blogというシステムに乗せることで、決して知り合うハズのない人々の間に認識されるに到っただけでも、十分奇跡的だなぁと感じているところなので、多少無理矢理ですが「今のところは」このギャップを肯定的に受け止めたいと思う所です。

*1:私自身は当該のユリイカを読んでないので、この言葉自体は孫引き的にしか理解してません

*2:…いや、今更な話題ですか

*3:用語の適当さは私の学の無さ、語彙の少なさのせいです