・話題2つめ
いまは家でPCから書いてるんだけどさ。
ケータイから更新する時と、家でキーボードを叩く時と、全然モードが違うんですよね。マインドというのか。志向というのか。

バスの中で詳しく長く考えてたんだけど、mixi日記にしては面白味が欠けるから、超省略すると。

家で書く時というより、家で考えるけど書かない時というのが良い例で、日記に意味(と過剰な横滑り)を求めガチ。つまり書こうと思って書かない時の特色は「書く意味がない、敢えて自分がこれを書くことに意味がない」と思ってやめる事。

対するケータイでの更新は、端的にとれば「意味よりも感情」。なんだけど、色々一足飛びで現代的なコミュニケーションのあり方からすると、発信するという事実に価値が生じるみたいな。

・「俺の感じている感情は…以下略」という発信をした、という痕跡が「皆様」の前にネタとして提示されましたよ、という状態というか行為というか事実が、既に目的化したみたいな。

・情報のやりとりで、その「内容」ではなく、「形式」でもなく(年賀状みたいな)、せいぜい「何を話題にした」という「記号」の発信を一方的にする事に価値が生まれているところが、まるっきり現代人の男の子の病ですね。(「何の話題」に対して「どう意見した」という意見には意味も価値もあまりなくて、「あのさぁ○○なんだけど…」といった時に○○を持ち出した時点で、その発信物の効用を果たしてしまっている感じ?)

・完全に妄想だけど、ちゃんと関係性というのか人間関係の中で正しく戦える人なら、もっとメールとかメッセとか1:1か、せめて名指ししたメディアで自分の存在を発信すると思うんだけど、非コミュとか非モテは、さらにコミュニケーションを取れないというか、その責任を避けて、受け取りも拒否も曖昧なままに済ませられる、一方的な、日記スタイルの書き散らしに逃げる気がする。いや、気がするだけで根拠はない。答えも聞いてない。

と、mixiに書きかけて、結局、長すぎるので辞めた。