久々にスクールカースト話を見たので。

中学時代Aクラスだった奴らは今どうなってるの?? (2010-01-12 - Welcome To Madchester)
記事の前半にある「同じようにAクラスであっても、中学校でのAクラスと高校でのAクラスは全く異なる人生を歩む」という辺りは、事例も含めていかにも納得というか、個人的な実感とも本当に近いな、と思うところです。注釈を拝見するに、私の出身校もほぼ似たような学力帯の高校だったので、感覚的にも近いものがあるのかもしれません。

逆に、スクールカーストを無効化する方法が一つだけある。
それは、全ての高校・大学の学費を値上げし、進学校ほど学費がかかるようにする事だ。
高校・大学が親の財産に比例する形であれば「コミュニケーション能力」によって序列を決める必要などないからだ。ただし、そうした世界が生きやすいかは全く保障はできないが。
つまり、日本におけるスクールカーストの強烈さというのはまさに日本人が望んだ平等さの裏返しなのではないだろうか。

最後の、記事のスパイスに当たる部分ですが。「平等さ」というキーワードを出されていますが、私も少し近いところで「平均願望」のようなものがスクールカーストに関係あるのではないかな、と何となくですが考えておるところです。
ただ、私が思うオチとしては、この「平均願望」故にスクールカーストは「無くならない」。
「平均願望」と書きましたが、もう少し具体的に書くと「自分の目に見える程度の半径にある集団で、常に平均以上でありたい」と思う心ですね。これを満たす事に必死になると、平均ギリギリな人が自分を手っ取り早く安全圏におく為に取る行動というのが、つまりすぐ下の層をストレートに蹴落とすか、むしろ「秩序」の名によって下から上へと挑戦してくる戦いを「浅ましいもの」として平和を装って階層の固定を働きかけるとか、様々な手段で目の前の集団での位置取りをするのではないかと思うのです。
すると、どんなに「集団の外」に、家庭の財力といった明示的な差があっても、「とりあえず目の前の集団」での位置取りに必死になる限り、スクールカースト的なものはあまり無効化されないんじゃないかな…という風に思いました。まぁ、この説でいけば「平均願望」に関係なく「目の前の集団」が一番気になるよと言えば、それだけでショートカットして説明できそうですが…。


と、ここまで書いておきながら気になったのは、id:republic1963さんは「無効化」と書いている点で。つまり無くならなくても、効力を失うんじゃないか…という算段ですね。この効力というのが、学生時代のカーストが将来のクラスに繋がるという「効力」の事で、これを消し去る事だと確かにうーんと思ったりも。
ただ、世界に羽ばたく優秀な人材(笑)が、じめじめした土壌から生えてくるかというと、どうもそんなのは属人的な才能な気がして、クラス内の土壌に関係なさそうな気がしてきます。逆に、親とも土壌とも関係なく、Cクラスは自らCクラスとして振る舞ってしまうからこそ、Cクラスなような、そんな絶望的な気分も勝手にしたりするところです。そもそもスクールカーストが将来に影響するかしないかは、あまり関係ない気もするし、むしろその位置に陥ってしまう前段階に秘密があるんじゃないか的な感じです。といっても、生まれながらにダメとか、デキるとか、という価値の違いみたいな物があるとは思わないのですが、一般にどう捉えられるかという価値判断のカラクリが繋がってる気はします。価値観が先で、土壌はそれの加速装置みたいなものかな、と。


とはいえ私が高校を卒業して早10年(と10ヶ月)。今ではネットやケータイなどのインフラを通じて、リアルとは違う集団に心だけ属したり、別の世界が広がったりして、スクールカーストが云々なんて古い話は誰もしてないよ、と言われてるかもしれませんが。これはこれで、ドコにいても世界中と勝負したり、世界の平均を求め彷徨うという違うつらさを生んでる気もしますけど、それはまた別のお話ということで。