鏡に向かって独り言、みたいな仕上がり(きもいな

私には人や物事を愛する情熱が致命的に足りない。そんな自分が無条件で承認されようだなんて、そんな甘い話は許されないでしょ? そうだ、どうせ偽の人格と嘘の表情で給料を頂いているのでしょ。だったらわかっているでしょう、そのままで留まっていても、タダの無駄なモノなんだって。
だったら答えは2つ。それでもなお自分を変えるか、「本当に」諦めるか。
もしくは、こういう考えもあるか。ハードルそのものの高さを変えてしまおう。あなたもオッケーです、そちらのあなたも肯定します、だから私も許してください、と。…残念ながら、ここで最初の問題に戻ってしまいました。わかっているのに、内では肯定しているのに、自分の体が相手を否定する、或いは肯定の表現の方法を知らない、また或いは、そもそも私が知っている肯定の温度が低すぎる。ほらだめだ、私が向こうを素通りするから、向こうも私を素通りするだけ。
…いや、ひょっとしたら。既に私は十分な肯定を浴びているのかもしれないのに、自分のレセプターが壊れているせいで、正しく受け取れていないだけなのかも。何て致命的な! だってそうでしょう。限りなく求めてくる相手に、尽きることなく与え続けられるほど人のリソースは無限なのでしょうか。それは都合が良すぎでしょう、自分を考えればよくわかる。
しまった、出口のない無限地獄か?
どこかで正の循環をはじめなくちゃいけないね。最初の一歩が作り物だとしても。…しまった、最初から他人の攻撃に晒されている人の場合だってあるじゃないか。
それでも、願わくは許せる人になりたいものです。それが無意味だとしても、自分が少しでも悪から離れられればそれが希望になるかもしれないし…。
まぁ、何だかんだ言って、本物の悪意に触れた経験がほとんどないからね。全く幸せな人生だよ、ホント。いや、本当に殺意を抱いた相手も、実は、いました。でも、本当は殺されねばならないほどの悪意を持った人間なんて、少なくとも自分の周りには1人もいないと知って、自分が恥ずかしくなりました。そんなもんじゃない、何だ自分こそが悪じゃないかと…。
少し話がズレすぎたというか、広がりすぎたというか。別に何をどうしようとか、そんなんじゃないし、具体的な事は何も考えてないけど、とりあえず、ありがとうからはじめるかね、自分向けも含めてさ。
…とかいってー、ひゃっほぅ!