回帰

日記から始まったのだから、日記に帰ろう的な感じ。
近頃はサッパリ例の話題に参加もしてないのですが、春アタリの百花繚乱から一段落ついたところなのでしょうか。
id:umeten氏が『奇刊クリルタイ』原稿をアップされてますね。買い逃してしまった愚かな私には、とても嬉しい試みです。けど、私のような凡愚な者には難しすぎる。だけど、所々がすごくググっと来る所がある…かも……って、なんとまぁ、感想にもならない一言でしょう。
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そういえば、世間じゃ中二病とはいうけれど、私の場合も中二こそが鬼門の入り口だったのかもしれない。強い弱いじゃなくて、たとえ弱い者であろうとも、その奥底は常に暴力的でむさぼる側でしかなくて、それがイヤなんだ、とか考えたり*1。けど、そんな自分を取り除ける方法だって結局は「自分で自分を殺す」という極めて暴力的な手段*2になってしまうのだから、何から何まで存在が穢れてるとも思ったりして。
男性という欠落感という話は…実はよくわからないのですけれど、自分の身体が暴力そのものだという感覚は今でも忘れられない気がします。
男性の「視線」がむさぼりであるなら、一方で「無視」も暴力、いや意識にすら上がらない「不可視」こそも暴力。「まなざすこと」が暴力なら「まなざさないこと」も暴力で「まなざせないこと」も暴力。
私がクリスチャンになったのが、その中二の夏で。本当に最初のきっかけは、恥ずかしい話、教会という集まりにコミットしたいという単なる衝動だったんだけど、多分、自分は弱いけど穢れてる感が深い所で一番大きなきっかけだったのかもしれないと今では思います。
なんてね、ただのうぬぼれ。

*1:こっぱずかしいから最初は書かなかったけど、、、もちろん自分の感想=男性ベースでの話

*2:加害者が自分なモノだから、その弱みで被害者は誰にも訴えられず間違いなく泣き寝入りになるという卑怯さ