たぶん、既に誰かが指摘してる事だとは思いますが、書きたいから書きます。
「2次元至上主義者vs3次元至上主義」というアングルは、ところによっては既に次のフェーズに移っていますよね。たとえば、今の比較的若い人たちで、とても賢く振る舞うことの出来る人がやるなら、屈託なく「ガンダム」や「エヴァ」のヒロインの名を挙げ、如何に彼女たちへハマったかを軽く話すことでも出来るし、結果としてある種のキャラ作りをする事だって出来るでしょう。ここでの作品名や性別は例示でしかないので、色んなパターンを想定して下さい。

もしくは、かつてはまとめて「ヲタ」と言っていた領域でも…まぁ、昔からあった話ではありますが、異性のキャラに熱を上げる事をしながら、現実の異性とも適切にコミュニケートできる人たちだって増えているのですから。

で。昔ながらの「2次元至上主義者」が「3次元至上主義者」と戦うように「2次元のヒロインは最高だ! お前らにはわからないのだから、放っておいてくれ!」と叫んだところで、今のハイブリッドな人たちから見れば「えぇ、僕もその子が好きですよ。良いですよね2次元」「ところで『生身の女の子』の良さはご存じですか? どうして、こちらとも付き合わないのですか?」という疑問が素朴にわきあがるか、もしくは非常に物事を察する能力は持ち合わせているので全てわかった上で何も言わないのか。そういう事に、もう既になっている気がします。
どっちがキツイか、なんて考えてもしょうがないのですけど。「『2次元に存在する彼女を愛せる特権』なんて、ホントは無かった!」「俺たちの振る舞いを認めろ、と言ってたのに、本当にそのスタイルが受け入れられた時、自分たちが拠り所にしていた場所が誰でも通り抜け可能な公道になってしまった!」という感じを、好ましく思える人は流石に少ないかと思われます。

僕がそのどちらかの一員であったとは思いませんが*1、「脱ヲタ」で「隠れヲタ」で「非モテ」で「はて非」で『電車男』で『電波男』で「相手は生身の女の子なんだぞ!」だったあの頃が懐かしいです。
なんかゼロ年代前半を一気にまとめて振り返ったような大雑把さだ。

*1:本人が思わなかったところで、どちらかに近い立場だったか、その両方に属していたかもしれない