『つくられた卑弥呼』

つくられた卑弥呼―“女”の創出と国家 (ちくま新書)

つくられた卑弥呼―“女”の創出と国家 (ちくま新書)

「私と卑弥呼との出会いは、ほんの三,四年前のことである」と、あとがきにもあるように、卑弥呼像のみが主題というワケではなく、むしろ古代首長に対して*1私たちが抱いているジェンダー的錯覚の指摘こそが本書の主題であると思いました。本の帯に「古代の女性首長たちの実像を明らかにし、女帝論議にも一石を投じる衝撃の論考。」という、若干物々しい煽りが書いてありますが、まさに「古代の女性首長たち」が本論の主役でしょう。
さて、私が個人的に驚いたのが、本書の中盤あたりで展開される古代人の名についての論考です。ここでは土蜘蛛*2の名からはじまり、ヒメという名称、また戸籍に現れる男女の名を、史料上から読み直すことで、本来的に男女の区別がされていなかった空間に史料・資料の編纂による区別が生まれていく姿を書き出そうとしています。私たちは、史料上に現れる人物について、特別に「メ」、「ヒメ」の名を認めた時にはじめて歴史上に女性の存在を認めようとしますが、では何故、未だ確固たる由来や意味の確定に疑問の残る「古代首長の名前」を、すべからく男性の名前であるべきだ、と考えてしまっているのでしょうか。こう、改めて問われると…。土蜘蛛に男女両性が存在することは、かろうじて残された『風土記』の中にも確かに書かれていますし、また考古学的にも、男性と全く同様の葬られ方をした女性首長の古墳だっていくつも存在している、と。しかし、何故か地方勢力の首長の名前を見ると男性と断定してしまったり、また、女性首長=呪術的・巫女(ふじょ)的存在と簡単に見なしてしまっていないか、といった指摘は、とても興味の湧くシャープな視点だと思いました。
内容自体は、あまり深くつっこみすぎず、また、どちらかといえば「新しい視点の提示」といったニュアンスで書かれておりますので、いわゆる啓蒙書といった分類になるのでしょうか。これ一冊で古代史激震みたいな断定的な書では決してありませんが、しかし、また1つ歴史*3というスパンが、実に私の想像を遙かに超える世界だと実感させてくれる、面白い本でした。
…ま、かなり、平たくぶっちゃけると*4「ったく中世人のヤツらとか、全然ワケワカンネー常識で生きてるっつうのに、古代人になると、さらに予想外な現実で生きてんのかね?」という感じに近いかも。(笑)

*1:…と書いてみたけど、むしろ、私たちが史料を読む時に現れる態度全般かも

*2:ヤマト政権に打ち倒された、在地勢力

*3:文字による「歴史」のみならず、もっと広い意味での「歴史」…なイメージ

*4:関係ないけど、本の話を書く時って、一度「である」調で書き始めて、それから口語訳しないと妙に調子がでない