あぁ、今まで何をやっていたのか思いだしたよ

ルサンチマンがなくなる日 - 【The Perfect Kiss】Welcome To Madchester
必見。

納得した部分を引用しようと思ったら、後半を7割くらい全部写さなくちゃならないほどだったので、ぜひ直接読んでください。(ただ、ここから先は完全に私個人の思いを、読者を一切想定せずにぶん投げるだけなので、どこにもトラバりませんけど)
私が何度も何度も思っていた事が、変な話、未来形で書いてあるような気がします*1。つまり、はてなで「非モテ云々」と書き走る中に込められている感情は、別に周りが思うほど「恋愛云々」って意味なんじゃなくて、もっと単純な安心とか、そういう話ですってこと。
人によっては「いじめ」という問題に近いかも知れないし、もしかしたら、もっと生来的な事柄に端を発する「差別」に近い問題かもしれない*2。でも、私のようなぬるい人間にとっては、ひたすら自分の弱さに対する吠え、みたいな感じかもしれません。
たぶん、私の人生を一行でまとめられたら「さほど問題もなく」みたいに書かれちゃうと思うんです。なのに、こんなにもダメなのは、ひとえに自分が弱いからであって、そう考えると「〜〜が辛い」という事すら憚られる、と思わされます。自己責任の合唱が始まった頃から、ホントに、弱音を吐いた瞬間、見知らぬ世間から糾弾されかねない空気を感じたりする、あの感覚です*3
でも、そんな大小様々な弱さがあって、たまたまそれを言葉にしたい人たちがいて、ひっそりとコンタクトを発してる。そんなのが、たまたま私の場合「非モテ」という信号でコンタクトしてる人たちに共感したので、同じ信号を使ってるのかと思います。

恐らく、私たちの言ってることなんて、大昔から色んな人が色んな言葉で呻いていたんだと思います。いまは埋もれてるハズの庶民ですら「総表現社会」のおかげで下らないことを発せられるという違いがあるにせよ。
それはともかく、そうやってもう一度考え直すと、「はて非」オピニオンリーダーの方々のシグナルを勝手に拾ったから「非モテ」として表現していた感情を、そろそろ別の言葉に置き換えてやることも考えなくちゃいけないのかなぁ…と思いました。最初は「我々は『非モテ』という表現をそろそろ再考しなくてはならないのでは」みたいに、勝手に拡大して考えそうだったのですが、それはあくまでも個人の問題であって、他の人が思いを込めてる表現をどうこう言っても仕方がないですし。

一言でまとめると「ルサンチマン問題」*4って言い方になるのかな。…と、結局id:republic1963さんの後追いにしかなってないのか。

あ、別に現実生活が不満だらけとか、そういうんじゃないんですけど。ただ、色々考えて現実の関係では見せられない弱みこそ、生身の名前が外れる空間に投げる方がいいんじゃないかな、という、ある意味では判断です。

*1:どこら辺が未来なのかと言うと、「当事者性云々」ってトコが一番そうかな。話は変わるけど、数々の先駆者が「越えられなかった」悔いとかを見ると、どこまでいってもダメなのかと思うと悲しい

*2:ただ、これらの問題を「モテる、モテない」みたいな結論で語られるのを見ると、やっぱり個人的にはもったいないというか、もっと大きな問題として突きつけられるんじゃないかなぁ…という思いはありました。ただ、今は「起こった事柄について、どのポイントでそれを辛いと感じるか」は人それぞれなのかも、とは思いますけど

*3:直接の知人でなく「見知らぬ誰か」に対する厳しさが、これからますます強くなってくかのように感じます

*4:私はこの感情を今のところは肯定したいのですけど、それは別の話でまた